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雑行を棄てて本願に帰す

教行信証・後序(2) 39

 しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。(真宗聖典399ページ)

 真宗聖典の年表の1201(建仁元)年の項に、親鸞、これまで堂僧を勤めた延暦寺を出て、六角堂に参籠、聖徳太子の夢告により源空の門に入る、とある。親鸞は二十九歳で吉水に入室し、元久乙の丑の歳は西暦1205年、三十三歳で早くも師の法然から印可を受けている。その二年後、1207(承元元)年の承元の法難では法然に連座して越後に流罪となった。法然門下でも異彩を放つ存在であったことが容易に想像がつく。さて、親鸞は二十九歳で法然に遇うが、遇うと言っても人と人が会うのではない。比叡山を下りた時、親鸞には善知識に遇う準備ができていた。善知識との出遇いにより信心が決定する。それが、雑行を棄てて本願に帰す、ということの意味です。歎異抄・第二条にいわく、親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり、と。教行信証に法然の著述、選択本願念仏集からの引用はそう多くはない。恩師からなにかを教えてもらったというより、生きた仏の働きを法然の人格の上に見たことが親鸞には決定的だったのです。親鸞は法然を見て喜んだ。法然もまた親鸞を見て喜んだ。こうして法然から親鸞へと法が伝わった。善及

 南無阿弥陀仏  
# by zenkyu3 | 2023-04-16 05:11 | 教行信証のこころ | Comments(0)

教行信証・後序(1) 38

 竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、太上天皇 諱尊成、今上 諱為仁 聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。(真宗聖典398ページ)

 最後に後序を読んでまいります。真宗聖典の年表の1207(承元元)年の項には、専修念仏停止の院宣くだる。源空とその門弟処罰される。親鸞、越後へ遠流。源空、土佐へ流罪、西意・性願・住蓮・安楽、死罪、とある。後序の冒頭、親鸞は聖暦・承元丁の卯の歳の事件、すなわち承元の法難について語っている。そもそも、親鸞が教行信証を造った背景には、旧仏教の良心とも言うべき栂尾高山寺の明恵上人が、法然は念仏に菩提心(仏に作らんと願う心)はいらないと主張した、と非難したことがある。菩提心の否定は仏教の否定です。親鸞は仏教の綱格である教行証の三法とは別して信巻を立て、その中で、横超は、これすなわち願力回向の信楽、これを願作仏心と曰う。願作仏心は、すなわちこれ横の大菩提心なり、と述べ、浄土門にも菩提心があることをはっきりさせた。事件の背景には旧仏教と新興仏教の対立、抗争があり、親鸞は漢文で書かれた教行信証一書をもって旧仏教の権威に反論し、師の汚名をそそいだのです。善及

 南無阿弥陀仏
# by zenkyu3 | 2023-04-15 05:09 | 教行信証のこころ | Comments(0)

一心の華文を開く

教行信証・信巻別序(2) 37

 ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。しばらく疑問を至してついに明証を出だす。誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず。浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類、取捨を加うといえども、疑謗を生ずることなかれ、と。(真宗聖典210ページ)
 
 浄土論にいわく、世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず、と。浄土論の願生偈を一心の華文と親鸞は尊ばれた。親鸞は信巻に展開された三一問答の結論(信楽釈)として、このように述べている。信に知りぬ。至心・信楽・欲生、その言異なりといえども、その意惟一なり。何をもってのゆえに、三心すでに疑蓋雑わることなし。かるがゆえに真実の一心なり、これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。(中略)このゆえに論主建めに我一心と言えり、と。真宗の要義と伝承を説くということでは教巻・行巻の二巻で教行信証は完結している。二巻のエッセンスが正信偈だったわけです。信は行に含まれるにも関わらず、別して信巻を立てる理由は、信楽を獲得すること、それを特に親鸞は伝えなくてはならなかった。信巻は三一問答をメインとして展開されています。信楽(さとり)は如来回向とはいえ、親鸞によって自覚されて始めて信楽は信楽として明らかになるわけですから、信巻、証巻、真仏土巻、化身土巻の四巻は親鸞のご己証を明らかにするものと言ってよいのでしょう。信楽の体験を伝えられなければ、それはもう仏教ではない。以上で、信巻別序を読み終わります。善及

 南無阿弥陀仏

# by zenkyu3 | 2023-04-14 05:42 | 教行信証のこころ | Comments(0)

信楽を獲得すること

教行信証・信巻別序(1) 36

 それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。(真宗聖典210ページ)

 総序を読み終わりました。次は信巻別序です。教行信証は、正式には、顕浄土真実教行証文類と言います。仏教の伝統的な綱格で言えば教行証であるところを別して信巻を立てる。その理由を親鸞は、末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し、と述べている。字義を補足すれば、自性唯心に沈み、とはわたしの心の本性は本来仏なのだから、煩悩に迷う衆生の姿もまた仏の姿であって、迷っているこのままに救われているのだという本覚思想に落ち込み、煩悩と菩提の区別すら出来なくなってしまった。浄土の真証を貶す、とはその結果、煩悩を厭い離れることも、菩提を求めることもなくなった。また、定散の自心に迷い、とはわたしの心に執着して、わたしの心の善悪にこだわる。金剛の真信に昏し、とは仏のお心を知らない。仏のお心を知らないのだから、わたしの心も本当は知らない。信楽(さとり)を獲得する体験を伝えて来たのが釈尊以来の仏教の伝統なのに、教えこそ残ってはいるが、行も証も廃れ、真面目に修行する人もなければ、信楽を獲得し、それを伝えられる人もいない。このように聖道門の現在を厳しく批判した上で、ここに教巻、行巻、証巻とは別して信巻を立て、信楽を獲得するとはどういうことかを明らかにしようと、親鸞は信巻を別に立てる理由を別序をもって説明している。善及

 南無阿弥陀仏

# by zenkyu3 | 2023-04-13 05:40 | 教行信証のこころ | Comments(0)