信心獲得の御文

  されば無始已来つくりとつくる悪業煩悩を、
  のこるところもなく、
  願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆえに、
  正定聚不退のくらいに住すとなり。
  これによりて、煩悩を断ぜずして涅槃をうといえるは、
  このこころなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第五帖・第五通)

 一切の罪が消滅するとは、罪は責任を負う主体についていう。信仰の世界では無我といって責任を負う主体(わたし)がない。我執あるゆえに〈わたし〉を見るが、我執落ちて、もともと〈わたし〉はなかったと知れば、〈わたし〉という観念と一緒に一切の罪が消滅する。「悪をもおそるべからず」(歎異抄・第1章)とはそういうことです。無我を悟るので「不退のくらい」といいます。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2018-02-13 06:01 | 御文を読む | Comments(0)

帖外ブログ・其の五

南無阿弥陀仏

一、頭の中に暮らすわれらに頭の外に出てこいと本願召喚の勅命なり。

二、考えることが無明だから考えても考えても無明を破ることはできない。

三、考えてもわからないということが分かるまで考えないと考えることをやめられない。

四、ギリギリまで来ると疑いの暗い塊になる。必ずここを通って自力無効に至る。

五、頭でわかったことは悟りではない。不可称不可説不可思議のゆえに。

六、思議はこちら、不可思議はあちら。思議が不可思議に転ぜられる体験が必要だ。

七、信体験とは自分の心を離れる。どうやって離れるか。心を見ることで眼が仏になる。

八、はからいなしとは自分の心にはからいなし。自分の心を相手にしない。

九、頭の中にあるのは妄想。妄想を頭の外から眺める。妄想の影響を受けない。

十、機の深信を深めていくことが我執を落とすことになる。

平成三十年二月十二日

善及記す

# by zenkyu3 | 2018-02-12 06:25 | 帖外ブログ | Comments(0)

御袖すがりの御文

  当流の安心のおもむきをくわしくしらんとおもわんひとは、
  あながちに智慧才学もいらず、
  ただわが身はつみふかき、あさましきものなりとおもいとりて、
  かかる機までもたすけたまえるほとけは、
  阿弥陀如来ばかりなりとしりて、
  なにのようもなく、ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖に
  ひしとすがりまいらするおもいをなして、
  後生たすけたまえとたのみもうせば、
  この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、
  その御身より八万四千のおおきなる光明をはなちて、
  その光明のなかにそのひとをおさめいれておきたまうべし。

  (以上、一部抜粋)

  (御文・第五帖・第十二通)

 地獄行きの業造りは自分の心です。だから、「後生助けたまえ」とは、なにから助けてほしいかというと、自分の心から助けてほしい。自分の心と一緒にいると地獄行きだから、なんとか自分の心を離れ捨てさせてほしいと、そういうことです。しかし、そうこうしているうちに自分の心がこう囁く。「心をなくしてなんの人生か。喜怒哀楽こそ生きる素晴しさ、生きる喜びを捨てて人間をやめる気か」と。

 何度も何度も自分の心(群賊悪獣)に籠絡されて、五年十年といくら聴聞しても「ただわが身はつみふかき、あさましきものなりとおもいとりて」(機の深信)というところまでたどり着けない。だから、「ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもい」(法の深信)が起きるはずもない。「後生たすけたまえ」となるには自分の心の恐ろしさ、浅ましさ、おぞましさを十二分に味わわなくてはならない。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2018-02-12 06:08 | 御文を読む | Comments(2)

疫癘の御文

  当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。
  これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。
  生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。
  さのみふかくおどろくまじきことなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第四帖・第九通)

 生まれれば死ぬ。そんなことは始めからわかっている。改めて驚くようなことではない。なんのために生まれてきたかを忘れたかのように生きてきたから、やり残したことがまるまる残ってしまった。死を前にして驚かなくてはならないのはそのことです。相変わらず、いつ死ぬか、どう死ぬかばかりが心に懸かっている。そんなことはどうでもよいことで、死んでいく先が明らかになったかどうかだけが問題です。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2018-02-11 06:31 | 御文を読む | Comments(2)

帖外ブログ・其の四

南無阿弥陀仏

一、外部リンクに畑のかえるさんのブログ〈畑ニ居リマス〉を追加しました。

二、今でも旧ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉の方が多く読まれている。

三、会ったことのない数多くの著者の本から仏教を学んできたのでネットで恩返しかな。

四、多くの本を読んだが影響を受けたのは内山興正老師と曽我量深師の本。

五、松原致遠師の『わが名を称えよ』を読んで念仏をしようと決めた。

六、知りたいのは悟りですから悟りのある人の本を探して読むのがよい。

七、学者になりたいわけじゃないから仏教の勉強などいらない。信心を取るだけ。

八、量深師を読んだことのない方には『親鸞との対話』がわかりやすい。

九、なにを学んでもいいが最後は南無阿弥陀仏一つになる。

十、知識は金のようなもので持っているほどに偉い気になる。持つほどに信から遠くなる。

平成三十年二月十日

善及記す

# by zenkyu3 | 2018-02-10 10:48 | 帖外ブログ | Comments(2)