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機の深信

 機の深信は負ける世界だ。負ける人は礼儀正しい。機の深信は負けた姿。負けた姿は美しい、素直である。負ける姿を与えて下さるのが如来の大慈大悲というものである。そこに心の平和がある。人間が邪見驕慢になって、何とか人に勝とう、捩じ倒そう、押し除けようと考える。それが迷いである。苦悩の根源である。一体人間がそのような殺伐な心を起こすのは人間には生死無常という真理を素直に受取る智慧がないからだ。自分を信ずるとはどういうことか。自分の分限を知ることが自分を信ずること。自分を本当に知らして貰ろうた所にそこに仏のおたすけがある。

(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」13ページ) 

 『三十三願』に云わく、「たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が光明を蒙りてその身に触れん者、身心柔軟にして、人天に超過せん。もし爾らずんば、正覚を取らじ」と。信の一念に前念命終、自分を誇る心が死ぬ。その瞬間に後念即生、すなわち浄土に往生する。「負ける姿を与えて下さるのが如来の大慈大悲というものである。そこに心の平和がある」。必ず、必ず機の深信から信の一念は起こるのであり、信の一念にいただいた負ける姿に常に立ち返り、人に勝とうとする心を捨てることを実践修業する、それが後念相続、往生の生活です。「人間が邪見驕慢になって、何とか人に勝とう、捩じ倒そう、押し除けようと考える。それが迷いである。苦悩の根源である」。負ける心は柔らかい。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-11-30 05:50 | 曽我量深師の教えに学ぶ | Comments(0)

三願転入

 一応信心決定しても、その信が自覚の信になることが容易でない。親鸞聖人は法然上人にお遇いなされて一通りお解りになったのであろう。法然上人のお膝元にいる時に一応は解った。法然上人から聴聞したことが本当に身につくようになるには--長い年月を経て解るようになったことを親鸞聖人がお喜びになって御自分の信心を述べられたのが、あの三願転入の御文である。

(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」233ページ) 

 『教行信証』(化身土巻)に云わく、「ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな」と。信をいただくまでが容易でない。救われない、わからないの真っ暗闇の中での無我夢中です。だから、たまたま信を得ても、どうしてそうなったかがわからない。しかし、後念相続の生活の中から仏のお心がわかるようになれば、それは必然だったとわかる。しかも、十八の本願成就は終わりではなく始りだった。「十九願」「二十願」「十八願」と目に見えないお力に引かれて信の一念に至る。その道筋を何度も何度も歩き直すのが後念相続の生活で、信の一念を確かめ終わった時の確信が「果遂の誓い、良に由あるかな」の表白なのでしょう。

 南無阿弥陀仏 

by zenkyu3 | 2018-11-29 05:46 | 曽我量深師の教えに学ぶ | Comments(0)

信心の人は如来とひとし

 性信御房  親鸞

*1 信心をえたる人はかならず正定聚のくらいに住するがゆえに、等正覚のくらいともうすなり。いまの『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には、等正覚ととき給えり。その名こそかわりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつくらいなり。等正覚ともうすくらいは、補処の弥勒とおなじくらいなり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆえに、弥勒におなじととき給えり。

*2 さて、『大経』には、「次如弥勒」とは申すなり。弥勒はすでに仏にちかくましませば、弥勒仏と諸宗のならいは申すなり。しかれば、弥勒におなじくらいなれば、正定聚の人は如来とひとしとも申すなり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来と申すこともあるべしとしらせ給え。弥勒すでに無上覚にその心さだまりて、あかつきにならせ給うによりて、三会のあかつきと申すなり。浄土真実の人もこのこころをこころうべきなり。

*3 光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。居すというは、浄土に、信心の人のこころ、つねにいたりというこころなり。これは弥勒とおなじくということを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心の人は如来とひとしと申すこころなり。

 正嘉元年丁巳十月十日  親鸞
 性信御坊

(御消息集・善性本・第五通)

 正嘉元(1257)年、親鸞八十五歳、弟子の性信に宛てた手紙です。性信(1187-1275)は二十四輩の筆頭、坂東報恩寺の開基です。『年表』には正嘉元(1257)年の項に「親鸞、性信・真仏に「信心の行者は諸仏と等し」と教示」とあります。この手紙のことでしょう。文中には「如来と申すこともあるべし」ともあり、このようなご化導が「煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらく」(歎異抄・第十五章)という異義を生んでいったものと思われます。そもそも「成仏」とは煩悩がなくなったことです。煩悩具足の身を持って、しかも休みなく煩悩が起きてきているのに「すでにさとりをひらく」などとは論外です。煩悩は本能で断滅することは不可能だからこそ、煩悩をそのままにして丸ごと離れる横超他力の道が開かれている。しかし、信心には始りがあり、途中があり、終局がある。従って「心はすでに如来とひとし」とは、死を前にした親鸞自らの心境を述べたものであり、その心境の深さを窺い知ることは難しい。たとえ同一信心とは言っても、信心には自ずと深さがあることでしょう。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-28 05:57 | ご消息集のこころ | Comments(0)

歎異抄・第十五章(4)

 「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならいそうろうぞ」とこそ、故聖人のおおせにはそうらいしか。

(歎異抄・第十五章)

 「今生に本願を信じて」は仏道の始りとしての「①信の一念」であり、「信の一念」の後には後念相続があり、後念相続とは「②往生」の生活です。そして、後念相続の終局として「かの土にしてさとりをばひらく」、すなわち「③滅度」(成仏)があります。真宗では「②往生」(心の往生)と「③滅度」(身の往生)の二つをどちらも「往生」と言うことがあり、真宗教義をわかりにくくしている。「②往生」は現益であり「③滅度」は当益だからです。もし「②往生」が当益なら真宗は真宗でなくなる。なぜなら、「②往生」は「③滅度」に至る現生のプロセスなのに、「②往生」を当益にしてしまえば、仏になるための如実修業がなくなってしまうからです。ただ死後の生活を待つだけの信仰になる。それは真宗ではない。

 南無阿弥陀仏

*9月18日~50回

by zenkyu3 | 2018-11-27 05:46 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十五章(3)

 『和讃』にいわく「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」(善導讃)とはそうらえば、信心のさだまるときに、ひとたび摂取してすてたまわざれば、六道に輪回すべからず。しかればながく生死をばへだてそうろうぞかし。かくのごとくしるを、さとるとはいいまぎらかすべきや。あわれにそうろうをや。

(歎異抄・第十五章)

 「信心のさだまるとき」は「①信の一念」であり、「弥陀の心光摂護して」は摂取不捨の利益、すなわち「②往生」の生活です。そして「ながく生死をへだてける」は生死解脱のことで「③滅度」(成仏)を示しています。唯円は『高僧和讃』(善導讃)を引いて「①信の一念」と「②往生」は現益、「③滅度」は当益と真宗教義の要諦を示した上で、どこをどう解釈したら「すでにさとりをひらく」などということが出てくるのだと「即身成仏」の異義を厳しく批判しているのです。そもそも「成仏」とは煩悩がなくなったことです。煩悩具足の身を持って、しかも休みなく煩悩が起きてきているのに「すでにさとりをひらく」などとはまったくの論外です。煩悩は本能で、しかも断滅することは不可能だからこそ、煩悩を否定せず、煩悩を離れる「横超他力の道」があるのです。その異義者の主張があまりに幼稚過ぎるから、唯円は「あわれにそうろうをや」と言う。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-26 05:38 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十五章(2)

 おおよそ、今生においては、煩悩悪障を断ぜんこと、きわめてありがたきあいだ、真言・法華を行ずる浄侶、なおもて順次生のさとりをいのる。いかにいわんや、戒行恵解ともになしといえども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらわれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはそうらえ。

(歎異抄・第十五章)

 『御消息』に云わく、「まことの信心をえたる人は、すでに仏にならせ給うべき御みとなりておわしますゆえに、如来とひとしき人と経にとかれ候うなり。弥勒はいまだ、仏になりたまわねども、このたびかならずかならず仏になりたまうべきによりて、みろくをばすでに弥勒仏と申し候うなり。その定に、真実信心をえたる人をば、如来とひとしとおおせられて候うなり。また、承信房の弥勒とひとしと候うも、ひが事には候わねども、他力によりて信をえてよろこぶこころは如来とひとしと候うを、自力なりと候うらんは、いますこし承信房の御こころのそこのゆきつかぬようにきこえ候うこそ、よくよく御あん候うべくや候うらん。自力のこころにて、わがみは如来とひとしと候うらんは、まことにあしう候うべし。他力の信心のゆえに、浄信房のよろこばせ給い候うらんは、なにかは自力にて候うべき。よくよく御はからい候うべし」と。(『親鸞聖人御消息集・広本』第十五通より一部抜粋)

 正嘉元(1257)年、親鸞八十五歳、弟子の浄信に宛てた手紙です。その内容は、承信が「如来とひとしというのは自力の信である」と批判していると浄信が伝えたことについて親鸞が返信して、「いま少し深く承信房には考えて欲しい」と承信の指摘を否定している内容です。親鸞はこの頃から「如来とひとし」とさかんに手紙に書くようになったが、その教えは当時の人には難しく、かえって「即身成仏」の異義の原因になっていった。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-11-25 07:38 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十五章(1)

 煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もってのほかのことにそうろう。即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり。六根清浄はまた法華一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。来生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定の道なるがゆえなり。これまた易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。

(歎異抄・第十五章)

 第十五章は「学問化」の実際例です。「すでにさとりをひらく」とはいかにも理屈好きが言い出しそうなことです。理屈好きは法(外)を見て機(内)を見ない。さて、自力は煩悩を断ずる。他力は煩悩を離れる。こういう違いがある。煩悩は身体を維持する本能だから煩悩がなくなる(仏になる)なんてことはない。だから、他力は「不簡善悪の法なり」といって、身の善悪、心の善悪を「不簡」(えらばず)問題にしない。これから捨てようという無常敗壊の身体と、身体を維持する機能について、よし悪しを言っても仕方がない。だから、他力の道は信の一念に心身を離れる。離れると心身が見える。見えることが如来回向の智慧です。相手にしないから否定はしない。そのまま丸ごと離れる。相手にしなければ煩悩も静かになる。影響を受けなければ煩悩はないのに等しいから、それで信心の人は仏に等しいと尊ばれる。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-11-24 05:14 | 歎異抄を読む | Comments(0)

即得往生

 信の一念に往生は定まる。定まるというのはどう定まるかと言えば、人間の実践の上に定まる。ただ心だけに定まっておるのではなしに、われらの実践・生活の上に定まる。我々の生活が定まる。信が信に止まらずして私どもの新しい生活・日暮しが開けて来る。新しい世界が開けて来る。それを「即得往生」という。つまり仏の御心の光が開けて来る。それが私どもの魂を照らして私どもの行く末を照らして下さる。それが「即得往生」ということである。

(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」288ページ) 

 『本願成就文』に云わく、「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。心を至し回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住す」と。仏道の始りを「即得往生」という。初めて仏のお心を知ったからです。それまでは教えでしかなかった。しかし、始りは始りで、途中でも終わりでもない。確かに途中でも終わりでもないが、あるいは終わったともいえる。なぜかと言えば、もう、わたしがすることはなにもないからです。「信の一念」に智慧が生じた。あとは、生じた智慧に育てられていくばかりだから、いまが終わりだともいえる。だから、いつ死んでも成仏する。

 南無阿弥陀仏 
by zenkyu3 | 2018-11-23 05:13 | 曽我量深師の教えに学ぶ | Comments(0)

夢告讃

 親鸞は八十五歳になって心から慄え上がった。自分が立派に信心决定していると思っていた。それが、観音の告を頂いてどんなにか悲しみ驚き落胆された。「弥陀の本願信ずべし」、何と厳しい御催促であろう。今までの信は真実信心ではなくて定散自力の信心に他ならんのであったと・・。

(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」18ページ) 

 『正像末和讃』に云わく、「康元二(1257)年、二月九日夜、寅の時、夢の告げに云わく、弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」と。また『年表』によれば、正嘉元(1275)年、親鸞八十五歳の項には「親鸞、性信・真仏に「信心の行者は諸仏と等し」と教示」とある。性信に宛てた手紙には「信心の人は如来とひとし」(御消息集・善性本・第五通)とあり、この頃から親鸞はさかんに「如来とひとし」と手紙に書くようになった。親鸞は二十九歳で法然の下で信心をいただいたが、長い後念相続の末、死を前に「このたび無上覚にいたるべきゆえに、弥勒におなじ」という心境に至った。智慧のお育てを受けてのご生涯を関東の門侶に示して、最後のご化導であった。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-22 05:39 | 曽我量深師の教えに学ぶ | Comments(0)

浄土往生の生活

 いつ死んでも成仏間違いないのは、現生に於いて既に往生している。現生に於いて既に浄土往生の生活を営んでおる者であるが故に、仏様でないけれど仏様に等しい生活を他力の不思議によって与えて下された。そういう者であるが故に、いつ命終っても大般涅槃のさとり間違いない確信確証を握っておるものである。こういうのが浄土真宗の教えの本当の精神である。

(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」97ページ)

 『第十一願』に云わく、「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、定聚に住し必ず滅度に至らずんば、正覚を取らじ」と。親鸞の教えは「現生正定聚」とはっきりしている。しかし、量深師のように「現生に於いて既に浄土往生の生活を営んでおる者である」とは、それまでの伝統教学では誰も言わなかった。「信の一念」があるなら、その後には生涯にわたる後念相続の生活が続いているはずである。そして、信心の人にも死の一瞬が訪れる。量深師は後念相続の生活を「往生」とはっきりさせた。「国の中の人天」という願文を願文通りに読んでいるといっていい。仏道とは後念相続の生活なのだから、「①信の一念」「②往生」「③滅度」とすれば、仏道の階梯がよりはっきりする。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-21 05:02 | 曽我量深師の教えに学ぶ | Comments(0)