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カテゴリ:清沢満之に学ぶ( 36 )

世に処するの実行主義

精神主義 11

 之を要するに、精神主義は吾人の世に処するの実行主義にして、其の第一義は、充分の満足を精神内に求め得べきことを信ずるにあり。而して其発動するところは、外物他人に追従して苦悶せざるにあり。交際協和して人生の幸楽を増進するにあり。完全なる自由と絶対的服従とを雙運して、以て此の間に於ける一切の苦患を払掃するに在り。

(清沢満之『精神主義』11/11)

 最後に満之は自らの持論である「精神主義」をまとめてみせます。まずは「実行主義」とは「現生の益」のことであり、「充分の満足を精神内に求め得べき」とは「心多歓喜の益」のことでしょう。信仰は死後の話ではないことの表明です。よって「外物他人に追従して苦悶せざる」とは「自信」であり、「交際協和して人生の幸楽を増進する」とは「教人信」です。また「完全なる自由と絶対的服従とを雙運して」とは、すべてを宿業と受け入れるところに本当の心の自由があるということで、なにより信心の肝要を示しています。そして最後に「一切の苦患を払掃する」とは仏道の目的である「生死解脱」のことで、超現実の「往生の生活」が信心の人には開けていることを明らかにするものです。以上で満之の『精神主義』を読み終わりました。真宗近代に満之が現れてくださったことはなんと尊いことだろうか。

 南無阿弥陀仏  

by zenkyu3 | 2019-03-08 05:56 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 10

 故に或は外他の人物の動作によりて我が苦悩するが如きことあるも、精神主義よりして之を云へば、是れ我が妄想の為に苦悩するものとし、決して外他人物の為に苦悩せざるものとするなり。(之に反する場合も推して知るべし。)而して此の如き苦悩は畢竟妄念より生ずる幻影に過ぎざるが故に、精神主義の実行が進歩するに従ひ、吾人の立脚地益々明確となると共に、彼の苦悩は漸次に減退消散するものたるなり。

(清沢満之『精神主義』10/11)

 満之のいう「精神主義」とは信心の人の内面の生活、すなわち「往生の生活」のことです。ちなみに「此の如き苦悩は畢竟妄念より生ずる幻影に過ぎざる」と見えることが「智慧の回向」であり、「精神主義の実行が進歩するに従ひ、彼の苦悩は漸次に減退消散するものたるなり」とは「智慧のお育て」のことです。『精神主義』と題されたこの文章は真宗用語こそ使ってはいないが信心の内実を端的に述べている。

 南無阿弥陀仏 
by zenkyu3 | 2019-03-07 05:10 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 9

 然るに此の如き服従の場合に於いて、最も注意すべき所の要件あり、煩悶憂苦の有無即ち是なり。此の点に就いては精神主義に一種の要義あり、他にあらず、精神主義は総ての煩悶憂苦を以て、全く各人自己の妄念より生ずる幻影と信ずるにあり。乃ち、精神主義よりして之を云へば、我は外他の人物を苦むること能はざると同じく、外他の人物は我を苦しむること能はざるなり。

(清沢満之『精神主義』9/11)

 頭に湧いては消えていくことを繰り返して止むことのない思いや感情、これを満之は「各人自己の妄念より生ずる幻影」と示している。どんな思いであれ、放って置けばやがて消えてなくなる。消えてなくなるものにわざわざ此方から取り憑いて、逆に妄念妄想に縛られて心が自由を失う。それが精神主義における「最も注意すべき所の要件」だというのです。その通りでしょう。思いの相手をせず、巻き込まれないでいることを「精神主義に一種の要義あり」と満之は教えているのです。これは「心光照護」の内実であり、仏法の肝要中の肝要です。

 南無阿弥陀仏  

by zenkyu3 | 2019-03-06 05:54 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 8

 而して通常の場合に於いては、彼の自由と我の自由と衝突なき能はざる如きは何ぞや、他なし、此の如き自由は完全なる自由にあらざるが故に、完全なる服従と平行せざればなり。今精神主義によりて云ふ所の自由は、完全の自由なるが故に、如何なる場合に於いても、常に絶対的服従と平行するを以て、自由に自家の主張を変更して他人の自由に調和することを得て、決して彼の自由と衝突することあらざるなり。

(清沢満之『精神主義』8/11)

 満之は「宇宙万有の千変万化は、皆な是れ一大不可思議の妙用に属す」(絶対他力の大道・第二節)と示したが、すべてを宿業と受け入れた処(絶対的服従)に往生の生活(完全なる自由)が開けてくる。もともと、なにも問題がなかった。そうわかれば、自分に求めず、人にも求めず。天地万物一切に問題がない。なにも問題がない様子を「涅槃」(浄土)という。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-03-05 05:51 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 7

 精神主義は完全なる自由主義なり。若し其れ制限束縛せらるゝことあらば、是れ全く自限自縛たるべく、外他の人物の為に制限束縛せらるゝにあらざるべし。自己も完全なる自由を有し、他人も完全なる自由を有し、而して彼の自由と彼の自由と衝突することなきもの、是れ即ち精神主義の交際といふべきなり。

(清沢満之『精神主義』7/11)

 天地万物一切の運行にはなんの障害もない。なんの問題もないところに問題をつくり、自ら進んで苦悩の道に進む。もともと問題はないのだから問題を解決するということがない。問題を捨てればよい。捨てられないから不自由というのでしょう。天地万物一切が自由であるけれど、わたしだけが不自由だ。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-03-04 05:49 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

自家の確立(2)

精神主義 6

 故に若し外物又は他人と交際して、自他の幸福を増進することに至りては、精神主義は決して此の事を排斥せず、寧ろ反つて之を歓迎するなり。故に精神主義は決して隠遁主義にあらず、亦たを退嬰義にもあらざるなり。協共和合によりて社会国家の福祉を発達せしめんことは、寧ろ精神主義の奨励する所なり。

(清沢満之『精神主義』6/11)

 わたしは人を救うことはできない。しかし、仏に救われていく姿を示すことはできるかもしれない。仏はどのようにして救うか。自分の心が見えるようにして救う。見える前と見えた後でわたしはなにも変わらないが、自分がわからずに迷って来たから見えたことが救いとなった。自分の心が見えることを智慧の回向といい、智慧を与えて救うのが仏の慈悲です。

 南無阿弥陀仏  

by zenkyu3 | 2019-03-03 05:47 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

自家の確立(1)

精神主義 5

 又精神主義は自家の精神を以て必要とするが故に、其外貌或は利己の一偏に僻し、他人を排斥するが如きものなきに非ず。然れ共、精神主義は決して利己一偏を目的とするものにあらず、又他人を蔑視するものにあらず。只だ自家の立脚地をだも確めずして、先づ他人の立脚地を確めんとするの不当なるを信じ、自家の立脚地だに確乎たらしむるを得ば、以て之を人に移し得べきことを信じ、勉めて自家の確立を先要とするが精神主義の取る所の順序なり。

(清沢満之『精神主義』5/11)

 仏のお心に触れる。仏のお心につながる。仏のお心の中に自分が見える。これは宗教的な経験であり哲学や思想ではない。なぜなら、経験は経験した者にしかわからず、知識のように共有することができないからです。仏のお心と心通じて仏との一対一の対話が始まる。仏のお心と心通じ合うと自ずと念仏が出てくる。仏のお心を経験した人の念仏する姿を見て、念仏する人が新たに生まれてくる。新しい念仏者からさらにまた新しい念仏者が生まれてくる。

 南無阿弥陀仏  

by zenkyu3 | 2019-03-02 05:44 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 4

 然れ共、精神主義は強ちに外物を排斥するものにあらず。若し外物に対して行動することある場合には、彼の外物の為に煩悶憂苦せざるのみならず、彼の外物は精神の模様に従ひ、自由に之を変転せしめ得べきことを信ずるなり。故に彼の「随其心浄則仏土浄」とは、是れ善く精神主義の外物に対する見地を表白したるものといふて可なり。

(清沢満之『精神主義』4/11)

 昨日いた人が今日はいない。喜びも悲しみも、心を支配した憎しみすら消えて今はない。これからもそうです。ずっと同じことの繰り返しです。人も思いもすべて通り過ぎて行く。流れて行く。この肉体もやがて壊れ腐れて死んでいく。特別なことなど何もない。だから、そんなところにとどまっていてはならない。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-03-01 05:42 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 3

 精神主義は自家の精神内に充足を求むるものなり。故に外物を追ひ他人に従ひて、為に煩悶憂苦することなし。而して其の或は外物を追ひ、他人に従ふ形状あるも、決して自家の不足なるが為に追従するものたるべからず。精神主義を取るものにして、自ら不足を感ずることあらんか、其の充足は之を絶対無限者に求むべくして、之を相対有限の人と物とに求むべからざるなり。

(清沢満之『精神主義』3/11)

 満たされない心は外に物質的な満足を求めて心の空洞を埋めようとする。いずれ泡のように消えてしまうもののためにあなたは人生を浪費している。なによりそのことに気づいていない。生きていることの空しさ、やがて来る死の恐怖に対してまったく無力で、ただ流されるがままに死の滝壷に落ちて行く。それは誰の問題でもない。あなた一人の問題だ。

 南無阿弥陀仏  

by zenkyu3 | 2019-02-28 05:39 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)

精神主義 2

 此の如き無限者の吾人精神内にあるか、精神外にあるかは、吾人一偏に之を断言するの要を見ず。何となれば彼の絶対無限者は、之を求むる人の之に接する所にあり。内とも限るべからず、外とも限るべからざればなり。吾人は只だ此の如き無限者にせざれば、処世に於ける完全なる立脚地ある能はざることを云ふのみ。而して此の如き立脚地を得たる精神の発達する条路、之を名けて精神主義と云ふ。

(清沢満之『精神主義』2/11)

 この肉体はわたしではない。わたしは物質で出来ているわけではないからです。よって、肉体の要請は本質的なことではない。肉体を維持するためだけの人生で終われば、それはなんら本質的な生き方ではない。心の奥の方から、気づけよ、気づけよとあなたを呼ぶ声がある。あなたはすっかり忘れているかも知れないが、心はあなたを一度も忘れたことがない。

 南無阿弥陀仏  

by zenkyu3 | 2019-02-27 05:34 | 清沢満之に学ぶ | Comments(0)