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カテゴリ:竹内維茂先生との出遇い( 5 )

念仏の人

 ただ、私がこの人の歌をここに出しましたのは何故かというと、岩田カネは「行住坐臥もえらばれず、時・処・諸縁もさわりなし」ということを本当に実行した人だからなのです。私はいまだに不思議に思うのですよ。朝起きた時から寝る時まで、私たちがつきあっている間は、本当に四六時中と言っていいほど、念仏をしていた人です。ラジオを聞きながらでも、念仏をしていたし、話をしていても、トイレの中でも、念仏していた。いつも念仏の中で私たちと話をしていた人だと思う。なんでこんなに念仏ができるのか。(中略)念仏の中に本当に身も心もある。本当に苦労に苦労を重ねた上で、念仏に出遇った喜びがあるんだろうと思うんですよ。まあ、そういうことを私は思う。

(竹内維茂著『称名念仏の大悲』135ページ)

 岩田カネ(1875~1944)は母・竹内芳子の実姉。先生の両親と共に明薫師のご化導をいただいた。先生が二十歳の頃まで存命で、先生は本物の念仏者を見て育った。また、先生は京都大学の哲学科の出身で、在学中に結核を患い、学業から取り残されていくような孤独の中にいた時に、恩師の西谷啓治先生から「いま居るベッドの上があなたの聞法の場所です」と励まされたと聞いた。また、明薫師については「子どもの頃、膝に抱かれたことを憶えているが、ただのお爺ちゃんという感じだった」と話された。竹内先生は生きた仏に取り巻かれて、自ずと念仏者に育てられていく環境におられた。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2019-01-11 05:21 | 竹内維茂先生との出遇い | Comments(0)

迷いを翻す

 一番大事なことは、「迷いを翻す」(善導『往生礼讚』)ってことなんです。そして、どうしたら、救いの岸に着くことができるのか。救いの岸に立ったならば、どうなるのか。こういう問題。これが仏道だと言ってよろしいと思うのですね。この、迷いを翻して真実に生まれるということ。迷いを翻した真実の世界が展開したということ。これを「蘇生」と言います。生き返るということです。私は今日は「翻迷と蘇生-迷いを翻して生き返る-」というテーマで考えて見たいと思うんです。

(竹内維茂著『称名念仏の大悲』49ページ)

 竹内先生は綿密な講義ノートを作る方でした。講壇の前に座る時、腕に抱えたノートは貼付資料と付箋で膨らんでいるのが常でした。ホスピスから環境問題、ときに西洋哲学と、先生の関心領域は広く、ときに大学の授業のようでもありましたが、語るといって「信の一念」を語ること以外に法話といって法話はないのでしょう。信の一念とは「人心」から「仏心」へ主体が転換する。竹内先生はここでは「翻迷と蘇生」と言っています。「翻迷」とは「人心」が死ぬことであり、「蘇生」とは「仏心」に生まれ変わる。親鸞はこれを「前念命終」「後念即生」と教えている。これが仏教において「一番大事なこと」です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2019-01-10 05:31 | 竹内維茂先生との出遇い | Comments(0)

まことの心

 今、この念仏に依って、我々に、「まこと」の心が「まこと」から起こされてくる。自分が本当に今、生きた法から教えられ、照らされてくるわけです。そして、その信心は、それで終わりじゃない。信心が開かれてくればくるほど、「救われない者を救う」という仏の大きなはたらきに出遇うことによって、常にその信心はいよいよ成就されてくる。信心だって、これで終わりだというものじゃないんですよ。いま仏から開かれてきた心。その少しでも法が聞けてくる心が開けてくると、これはさらに無限な仏のはたらきに触れてくる。いよいよ喜んでこられるし、いよいよ「救いのない身だ」ということがまた聞こえてくるという、こういうはたらき。ここに、我々が娑婆にいながら「浄土に居す」ということができる、大きな展開があるのですよ。大変なことですね。

(竹内維茂著『称名念仏の大悲』29ページ)

 竹内先生は難しい真宗用語を易しい言葉に置き換えて、わかりやすい話になるように腐心されていた。仏のお心を「まことの心」と表現されたように。ここに引用した法話も易しい(優しい)話しぶりですが、展開されているのは「信の一念」と「後念相続」、つまりは「得生」と「願生」のことで、真宗の肝要をさらりと、本当にさらりと述べておられる。こんなことを話されていたのだなぁと思う。というのも、わたしは先生の話を一度もノートしたことがない。日光浴のように法の光を浴びることを楽しんでいただけで、なにかを覚えて帰ろうなんて考えていなかった。お寺は浄土、先生は仏、例会は浄土詣りで、いつも楽しかった。

 南無阿弥陀仏 

by zenkyu3 | 2019-01-03 05:20 | 竹内維茂先生との出遇い | Comments(2)

善知識に出遇う

 その善知識というのは、「救われない者を真実に目覚まして救う」という仏の大きなエネルギーというか、本願というか、智慧と慈悲から生れた人なのです。そのはたらきに目覚めた人は、そこに止まらないで、その仏のいのちをいのちとして、生きている人です。そういう人に出遇った時に、初めて自分も念仏申すことができた。これで初めて「出遇った」と言えるのです。ただ出遇っただけでは駄目なんです。出遇ったことによって、私自身が、その一番の根源である「念仏申す」という仏のはたらきをみずから行じていこうとする。これが大事です。

(竹内維茂著『称名念仏の大悲』24ページ)

 竹内先生を初めてお尋ねしたのは平成元(1989)年十月で、先生は当時六十五歳、わたしは三十六。あれから二十九年、わたしも先生と同じ年齢になった。その頃、わたしは高田馬場の本社に札幌から単身赴任しており、練馬の真宗会館で櫟暁先生の法話を聞いたりしていた。その間も、都内各所の聞法会に通い、師となる人を探していた。そんな時、たまたま真宗会館の坊守講習会の案内に竹内先生の名前を見つけ、先生の著書『仏からの道』を読んだことがあるというだけで、不躾にも予約も取らずに代々木のご自宅を訪問したのです。先生はたまたまご在宅で、初対面にもかかわらず、怪しむ風もなく部屋に招き入れ、話を聞いてくださった。先生の著書の話をすると「そうなのか」という顔をされたが、それ以外どんな話をしたかは憶えていない。ただ、居間に大きな犬の置物が置かれていて「愛犬を失ったのだろうか」と憶測したり、天井下の壁紙の一部が剥がれかかっていて「ご高齢で補修が難しいのだろうか」と心配したりと、つまらぬことは憶えている。たった三ヶ月で善知識に出遇えるとは、まこと不思議の宿縁というべきか。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2019-01-02 05:51 | 竹内維茂先生との出遇い | Comments(2)

無後心

 私は、四年前に高血圧で入院しました時に、頭を冷やしている氷枕が洩れて、ベッドがびしょびしょになった。そのベッドを全部換えてくれた時、マットを見たら、もうしみだらけ。血のしみがいっぱいあるのです。病院のベッドというのは、この上で何人もの人が亡くなっていったベッドだなあと、つくづく思う。その上に寝かされている。その上で「正信偈」を暗誦しようとしても、どうも続かない。しかし、お念仏というのは申されるのです。お念仏だけは申される。(中略)そこに、私が一番思ったのは、「ああ、ここが自分の死に場所でいいんじゃないか」と思った。「死に場所をああでもない、こうでもないと言うけれども、お念仏の申されるところ、やっぱりそこが本当に安心して死んでいける場所なんだ」ということを私は感じたんですね。

(竹内維茂著『称名念仏の大悲』126ページ)

 竹内先生、急逝直前のご法話四篇が『称名念仏の大悲』(1998年・彌生書房刊)としてまとめられている。本書を読みながら先生の思い出を心の奥底から取り出して眺めてみようと思った。さて、この法話は平成九(1997)年四月六日、先生が七十二歳で亡くなる十日前のものです。今から二十一年も前ですが「病院のベッドというのは、この上で何人もの人が亡くなっていったベッドだなあ」と話されたのを今でも憶えている。この頃の先生は声もあまり出なくなり、命を削るようなご会座でした。「時間がない、時間がない」とよく言われるので、ご自身の死を覚悟した言葉かと不審でしたが、そうではなく「あなたたちも時間がないのですよ」ということだった。早く信心を頂きなさい、間に合いませんよ、とのご催促だったのです。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2019-01-01 05:02 | 竹内維茂先生との出遇い | Comments(0)