カテゴリ:歎異抄を読む( 62 )

歎異抄・後序(6)

(歎異抄を読む・最終回)

 かなしきかなや、さいわいに念仏しながら、直に報土にうまれずして、辺地にやどをとらんこと。一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。外見あるべからず。

(歎異抄・後序)

 作者はすっかり年老いている。親鸞とは孫ほど年が離れているが、最晩年、その人間性に感激し、短い間だが教えを受け、しっかりと信心をいただいている。第二章で親鸞に初めて会い、第九章で信心を認めてもらい、後序の「信心相論」の話を聞かしてもらったのは師資相承なのでしょう。この書の中でもこの三つの章はとくに劇的な効果を上げている。この書は親鸞の信心を正しく伝えるものですが、それは親鸞の唯円へのご化導の記録でもあり、かつまた唯円の信心の表白でもあります。法然から親鸞、そして唯円へと伝わってきた仏法は「如来よりたまわりたる信心」で言い尽くされている。以上で『歎異抄』を読み終わりました。

 南無阿弥陀仏

*9月18日(火)から全62回です。

by zenkyu3 | 2018-12-31 05:41 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・後序(5)

 露命わずかに枯草の身にかかりてそうろうほどにこそ、あいともなわしめたまうひとびとの御不審をもうけたまわり、聖人のおおせのそうらいしおもむきをも、もうしきかせまいらせそうらえども、閉眼ののちは、さこそしどけなきことどもにてそうらわんずらめと、なげき存じそうらいて、かくのごとくの義ども、おおせられあいそうろうひとびとにも、いいまよわされなんどせらるることのそうらわんときは、故聖人の御こころにあいかないて御もちいそうろう御聖教どもを、よくよく御らんそうろうべし。


(歎異抄・後序)

 『年表』によれば、「正応元(1288)年、河和田の唯円上洛。覚如、法義を学ぶ。歎異抄、この前後に成るか」とある。正応元年は親鸞入滅の弘長二(1262)年から二十六年だから、歎異抄は親鸞滅後三十年前後に書かれていることになろうか。唯円が関東の門弟たちと上京したのが建長四(1252)年、親鸞八十歳だから、唯円は当時は三十歳くらい、親鸞とは五十歳ほどの歳の隔たりがある。親鸞が亡くなるまでの十年間、おそらく脇侍として仕え、正しい信心を受け継いだ。この書を書いている唯円は七十歳くらいであろうか。死を目の前にした遺言のようでもある。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-12-30 05:25 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・後序(4)

 聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。

(歎異抄・後序)

 二つ目の「大切の証文」です。「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」。これは悟りの言葉です。われらは物質に執着して、逆に物質に縛られて生活している。これが苦悩の根本原因です。物質を得る場所が世間だから世間に縛られて自由がない。物質に執着する心を煩悩といい、煩悩具足の凡夫が見る物質世界の有り様を「火宅無常」という。煩悩と娑婆は合せ鏡の関係で、煩悩の造る心の世界が娑婆で、煩悩は自分の心の影である物質を見て、また煩悩を起こす。しかも、煩悩は身体に具わった機能(本能)だからなくならない。だから、煩悩は相手にしないで「遠く離れよ」と教えるのが仏教です。善とは煩悩にとって善であり、悪とは煩悩にとって悪であるから善悪を妄想分別という。妄想分別の影響は受けないという親鸞の悟りが「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という言葉で表明されている。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-12-29 05:57 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・後序(3)

 聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

(歎異抄・後序)

 一つ目の「大切の証文」です。いつも口癖のように親鸞が言っていた。それを唯円がいつも聞いていた。だから「聖人のつねのおおせ」です。「ひとえに親鸞一人がためなりけり」とは、仏と出遇うときは一対一。法は平等、信心は特別。仏はまとめて救うのではなく一人一人を救う。救われるとは、仏の方から自分が見える。仏のお心と心通じあって自分が見える。「そくばくの業をもちける身にてありける」とわかった。煩悩具足の身とわかった。同時に、煩悩のない涅槃の境地、仏になることがわかった。だから「たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」という。わたしがわかるのが機の深信、仏がわかるのが法の深信。仏がわたしを見る。わたしが仏を見る。仏とわたしが合せ鏡のように互いに照らし合う。これが信心獲得の内面の事実です。なぜ、この法語が「大切の証文」なのかといえば、「機の深信から信に入れ」というのが親鸞のご化導の根本だからです。『歎異抄』は親鸞の唯円に対するご化導の記録です。だから『歎異抄』を正しく読めば親鸞のご化導を仰ぐことになる。『歎異抄』を正しく頂いて信心を取ってほしい。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-12-28 05:27 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・後序(2)

 故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおおかりけるなかに、おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のことそうらいけり。そのゆえは、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」とおおせのそうらいければ、勢観房、念仏房なんどもうす御同朋達、もってのほかにあらそいたまいて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、ひとつにはあるべきぞ」とそうらいければ、「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに、一ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と御返答ありけれども、なお、「いかでかその義あらん」という疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まえにて、自他の是非をさだむべきにて、この子細をもうしあげければ、法然聖人のおおせには、「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。別の信心にておわしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へは、よもまいらせたまいそうらわじ」とおおせそうらいしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心にひとつならぬ御こともそうろうらんとおぼえそうろう。

(歎異抄・後序)

 唯円は親鸞から直接聞いた話として書き残している。このような話は誰もが聞ける話ではない。親鸞と唯円の師弟関係が特別なものだったことがわかります。第二章、第九章、そして後序の「信心相論」と、この三つの話は仏心が人から人へと伝わる仏教の伝統を明らかにするもので『歎異抄』の背骨を構成している。「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり」と、法然は数多くの弟子たちの前で親鸞を認めた。親鸞は生涯、この感動の中に生きていた。法然は親鸞にとり生きた仏だったからです。

 南無阿弥陀仏 
by zenkyu3 | 2018-12-27 05:53 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・後序(1)

 右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおおかりけるなかに、おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のことそうらいけり。

(歎異抄・後序)

 この章は「あとがき」です。親鸞聖人が法然上人の正しい法の継承者であることを伝える「信心相論」の挿話で始まります。この書の作者にすればこの話は必ず残しておきたかった。さらに加えて、後序には「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」で始まる親鸞の二つの法語が「目安」に添えられている。「大切の証文」です。親鸞の信心を理解する上でとても重要な法語です。さて、振り返ると、この書の作者は前序に「耳の底にとどまるところ、いささか之をしるす」と言ってこの書を書き始めた。作者は学僧ではなかったでしょうから、親鸞のお言葉こそがお聖教であり、聞いた言葉はいつも心の中で反芻され、いまに至るも耳に響いていた。だから「露命わずかに枯草の身にかかりてそうろうほど」の、いつ死ぬかもわからぬ最晩年に恩師のご化導を振り返ることは自分の人生の総清算でもあったでしょう。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-12-26 05:59 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十八章

 仏法のかたに、施入物の多少にしたがいて、大小仏になるべしということ。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。

(歎異抄・第十八章)

 第十七章は教団維持のために「ついには地獄におつべし」などと親鸞の教えにはないことを持ち出して信者を脅す指導僧を批判した。次いで、第十八章は「施入物の多少」を示唆して金集めをする指導僧を批判しています。異義八か条の最後の二章はいずれも自らの生活のためには仏法を曲げても平気な人たちを批判するものですが、はからずも、親鸞没後三十年の関東教団の荒廃ぶりが伝わってきます。「上人のおおせにあらざる異義どもを、近来はおおくおおせられおうてそうろう」(中序)とは、とくに最後の二章に見える関東教団の有り様をいうのでしょう。死を前にした唯円大徳の悲しみはいかばかりであったろうか。以上で異義八か条を読み終わります。

 南無阿弥陀仏

*9月18日~56回
by zenkyu3 | 2018-12-15 05:44 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十七章(2)

 信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいのつみをつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ。信心の行者すくなきゆえに、化土におおくすすめいれられそうろうを、ついにむなしくなるべしとそうろうなるこそ、如来に虚妄をもうしつけまいらせられそうろうなれ。

(歎異抄・第十七章)

 『御消息』に云わく、「仏恩のふかきことは、懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかいのなかに第十九・第二十の願の御あわれみにてこそ、不可思議のたのしみにあうことにて候え。仏恩のふかきことそのきわもなし。いかにいわんや、真実の報土へ往生して、大涅槃のさとりをひらかんこと、仏恩よくよく御安ども候うべし」と。(『親鸞聖人血脈文集』第一通より一部抜粋)

 建長七(1255)年、親鸞八十三歳のときの手紙で、笠間の人たちの質問に答える返信の手紙です。この手紙の中で親鸞は「懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかいのなか」「仏恩のふかきことそのきわもなし」と教えている。唯円が「如来に虚妄をもうしつけまいらせられそうろうなれ」と怒るのも当然ではあるのでしょう。異義者は信もなくして教団の管理者に成り下がり、信心を求める仏道修行者としての自覚を失っている。

 南無阿弥陀仏

*9月18日~55回

by zenkyu3 | 2018-12-10 05:04 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十七章(1)

 辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ。この条、いずれの証文にみえそうろうぞや。学生だつるひとのなかに、いいいださるることにてそうろうなるこそ、あさましくそうらえ。

(歎異抄・第十七章)

 指導僧は教団の管理者だから信がなくても教える立場に立つ。親鸞には多くの弟子がいたが「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」(第六章)と、生涯、教えを聞く立場に身を置いて教団維持の思惑などない。だから、離れていく人たちがいても「念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなり」(第二章)と、信仰で人を縛ることはしない。だから、親鸞ご一流の門下にあって、教団維持のために「ついには地獄におつべし」などと信者を脅す指導僧がいることに唯円は我慢がならない。そもそも「辺地」とは都から遠く離れ、国王の威令が届かない辺鄙な土地柄を意味している。いまだ真実の智慧がなく方便の教えに止まっている姿を指して「辺地の往生」というのであり、死後の話ではない。大切なことは真実の都から遠く離れてはいても「辺地」もまた浄土の内側だということです。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-12-09 05:01 | 歎異抄を読む | Comments(0)

歎異抄・第十六章(3)

 すべてよろずのことにつけて、往生には、かしこきおもいを具せずしてただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもいいだしまいらすべし。しかれば念仏ももうされそうろう。これ自然なり。わがはからわざるを、自然ともうすなり。これすなわち他力にてまします。

(歎異抄・第十六章)

 『御消息』に云わく、「自然というは、もとよりしからしむということばなり。弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききて候う。ちかいのようは、無上仏にならしめんとちかいたまえるなり」と。(『末燈鈔』第五通より一部抜粋)

 『自然法爾章』は正嘉二(1258)年、親鸞八十六歳、関東から上京した弟子の顕智が聞き書きした。唯円は「わがはからわざるを、自然ともうすなり」と示しているが、信心深まり、智慧の働きが自在に働き出せば仏のお心がはっきりする。「往生には、かしこきおもいを具せずしてただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもいいだしまいらすべし」とは信後の念仏相続の肝要でしたが、仏のお心の中に入り終われば、仏のお心を「おもいいだしまいらす」ことも要らなくなる。いつでも、どこでも、なにをしていても、仏のお心が離れることはないからです。これを「憶念の心つねして」(冠頭讃)という。信の一念に始まった長い年月の後念相続の終局、行き着くところに行き着いた信心の人の心境を唯円は「わがはからわざる」と示し、最晩年の親鸞は自らの心境を『自然法爾章』に述べ伝えた。

 南無阿弥陀仏

*9月18日~53回

by zenkyu3 | 2018-12-04 05:32 | 歎異抄を読む | Comments(0)