まことにかかるそらごとどもをいいて、六波羅のへん・かまくらなんどにひろうせられたること、こころうきことなり。これらほどのそらごとは、このよのことなれば、いかでもあるべし。それだにも、そらごとをいうこと、うたてきなり。いかにいわんや、往生極楽の大事をいいまどわして、ひたち・しもつけの念仏者をまどわし、おやにそらごとをいいつけたること、こころうきことなり。

 第十八の本願をば、しぼめるはなにたとえて、人ごとにみなすてまいらせたりときこゆること、まことにほうぼうのとが、また五逆のつみをこのみて、人をそんじまどわさるること、かなしきことなり。ことに、破僧罪ともうすつみは、五逆のその一なり。親鸞にそらごとをもうしつけたるは、ちちをころすなり。五逆のその一なり。このことども、つたえきくこと、あさましさ、もうすかぎりなければ、いまは、おやということあるべからず、ことおもうことおもいきりたり。三宝・神明にもうしきりおわりぬ。かなしきことなり。

 わがほうもんににずとて、ひたちの念仏者みなまどわさんとこのまるるときくこそ、こころうくそうらえ。しんらんがおしえにて、ひたちの念仏もうす人々をそんぜよと、慈信房におしえたるとかまくらまできこえんこと、あさましあさまし。

(御消息拾遺・第三通)

 建長八(1256)年、親鸞八十四歳、長男の慈信房善鸞に宛てて親子の縁を切ることを伝える、いわゆる「義絶状」です。痛々しく読むのが辛くなる内容ですが、ご本人の心中は誰にもわからない。『年表』によれば、善鸞義絶の翌年の項には、「親鸞、夢に「弥陀の本願信ずべし」の文を感得」、「親鸞、性信・真仏に「信心の行者は諸仏と等し」と教示」とあり、いわゆる「善鸞事件」を契機に親鸞最晩年の大きな転機があったことが窺われます。

 南無阿弥陀仏 

by zenkyu3 | 2018-12-16 05:41 | ご消息集のこころ | Comments(0)

辺地にうまるべし

*1 たずねおおせられそうろう念仏の不審のこと。念仏往生と信ずるひとは、辺地の往生とてきらわれそうろうらんこと、おおかたこころえがたくそうろう。そのゆえは、弥陀の本願ともうすは、名号をとなえんものをば極楽へむかえんとちかわせたまいたるをふかく信じて、となうるがめでたきことにてそうろうなり。

*2 信心ありとも、名号をとなえざらんは、詮なくそうろう。また、一向、名号をとなうとも、信心あさくは、往生しがたくそうろう。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなえんずるは、うたがいなき報土の往生にてあるべくそうろうなり。

*3 詮ずるところ、名号をとなうというとも、他力本願を信ぜざらんは、辺地にうまるべし。本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にてそうろうべき。このようを、よくよく御こころえそうらいて御念仏そうろうべし。

*4 この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。あなかしこ、あなかしこ。

 七月十三日  親鸞
 有阿弥陀仏御返事

(末燈鈔・第十二通)

 正嘉元(1257)年、親鸞八十五歳、弟子の有阿弥陀仏に宛てた返信の手紙です。信の一念にいただいた智慧が念仏のお力によって自在に働き出すと、いつでも、どこでも、なにをしていても、仏のお心が離れなくなる。いつも仏の声が聞こえ、仏のお心に護られ、仏から見守られているのを感じる。そのような心の生活を「報土の往生」というのです。しかし、念仏は称えても、智慧がなければ悟りの世界は開けてこない。仏のお心を感じることもないから、その信心は頭で考えただけの観念にとどまる。そのような信仰生活を「辺地の往生」という。ちなみに言えば、「浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし」とは、有阿弥陀仏への親鸞の方便です。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-12-11 05:28 | ご消息集のこころ | Comments(0)

他力には義なきを義とす

 また、他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取したまえる第十八の念仏往生の本願を信楽するを、他力と申すなり。如来の御ちかいなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人のおおせごとにてありき。義ということは、はからうことばなり。行者のはからいは自力なれば、義というなり。他力は、本願を信楽して往生必定なるゆえに、さらに義なしとなり。しかれば、わがみのわるければいかでか如来むかえたまわんとおもうべからず。凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし。また、わがこころよければ往生すべしとおもうべからず。自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり。

(親鸞聖人血脈文集・第一通)

 建長七(1255)年、親鸞八十三歳のときの手紙で、最初に「かさまの念仏者のうたがいとわれたる事」とある。念仏の教えが網羅的に解説されている。その一部を抜粋した。さて、親鸞が「第十八の念仏往生の本願を信楽」したのは二十九歳。以来五十年以上、親鸞の信心は仏のお育てを受けて深化してきた。信の一念の上はいつ死んでも仏ですが、いつ死んでも仏という安心の上にさらに信心が深まっていく。信の一念に仏を見てから、長い年月の後念相続の終局として「さらに義なしとなり」と仏のお心がはっきりした。努力しなくても、いつでも、どこでも、なにをしていても仏のお心が離れない。このように生涯に渡り成仏の道を歩ませていただくことは、行者にとっては「往相」であり、その姿を他に示すということでは「還相」になる。「往還の回向は他力による」(正信偈)。「自信」の歩みがそのまま「教人信」になるのです。さらに親鸞は八十五歳を過ぎると「心はすでに如来とひとしければ、如来と申すこともあるべし」(御消息集・善性本・第五通)とまで言うようになった。いよいよ自らの死を自覚して、念仏者として目覚め、生き、そして死ぬことがどのようなことなのか、親鸞はわれわれに示された。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-12-05 05:40 | ご消息集のこころ | Comments(0)

信心の人は如来とひとし

 性信御房  親鸞

*1 信心をえたる人はかならず正定聚のくらいに住するがゆえに、等正覚のくらいともうすなり。いまの『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には、等正覚ととき給えり。その名こそかわりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつくらいなり。等正覚ともうすくらいは、補処の弥勒とおなじくらいなり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆえに、弥勒におなじととき給えり。

*2 さて、『大経』には、「次如弥勒」とは申すなり。弥勒はすでに仏にちかくましませば、弥勒仏と諸宗のならいは申すなり。しかれば、弥勒におなじくらいなれば、正定聚の人は如来とひとしとも申すなり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来と申すこともあるべしとしらせ給え。弥勒すでに無上覚にその心さだまりて、あかつきにならせ給うによりて、三会のあかつきと申すなり。浄土真実の人もこのこころをこころうべきなり。

*3 光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。居すというは、浄土に、信心の人のこころ、つねにいたりというこころなり。これは弥勒とおなじくということを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心の人は如来とひとしと申すこころなり。

 正嘉元年丁巳十月十日  親鸞
 性信御坊

(御消息集・善性本・第五通)

 正嘉元(1257)年、親鸞八十五歳、弟子の性信に宛てた手紙です。性信(1187-1275)は二十四輩の筆頭、坂東報恩寺の開基です。『年表』には正嘉元(1257)年の項に「親鸞、性信・真仏に「信心の行者は諸仏と等し」と教示」とあります。この手紙のことでしょう。文中には「如来と申すこともあるべし」ともあり、このようなご化導が「煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらく」(歎異抄・第十五章)という異義を生んでいったものと思われます。そもそも「成仏」とは煩悩がなくなったことです。煩悩具足の身を持って、しかも休みなく煩悩が起きてきているのに「すでにさとりをひらく」などとは論外です。煩悩は本能で断滅することは不可能だからこそ、煩悩をそのままにして丸ごと離れる横超他力の道が開かれている。しかし、信心には始りがあり、途中があり、終局がある。従って「心はすでに如来とひとし」とは、死を前にした親鸞自らの心境を述べたものであり、その心境の深さを窺い知ることは難しい。たとえ同一信心とは言っても、信心には自ずと深さがあることでしょう。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-28 05:57 | ご消息集のこころ | Comments(0)

摂取不捨の利益

*1 如来の誓願を信ずる心のさだまる時と申すは、摂取不捨の利益にあずかるゆえに、不退の位にさだまると御こころえ候うべし。真実信心さだまると申すも、金剛信心のさだまると申すも、摂取不捨のゆえに申すなり。さればこそ、無上覚にいたるべき心のおこると申すなり。これを、不退のくらいとも、正定聚のくらいにいるとも申し、等正覚にいたるとも申すなり。

*2 このこころのさだまるを、十方諸仏のよろこびて、諸仏の御こころにひとしとほめたまうなり。このゆえに、まことの信心の人をば、諸仏とひとしと申すなり。また、補処の弥勒とおなじと申すなり。このよにて、真実信心の人をばまぼらせ給えばこそ、『阿弥陀経』には、十方恒沙の諸仏護念すとは申す事にて候え。安楽浄土へ往生してのちはまもりたまう、と申すことにては候わず、娑婆世界(に)いたるほど護念すと申す事なり。信心まことなる人のこころを、十方恒沙の如来のほめたまえば、仏とひとしとは申す事なり。

*3 また、他力と申すことは、義なきを義とすと申すなり。義と申すことは、行者のおのおののはからう事を義とは申すなり。如来の誓願は不可思議にましますゆえに、仏と仏との御はからいなり。凡夫のはからいにあらず。補処の弥勒菩薩をはじめとして、仏智の不思議をはからうべき人は候わず。しかれば、如来の誓願には義なきを義とすとは、大師聖人の仰せに候いき。このこころのほかには往生にいるべきこと候わず、とこころえてまかりすぎそうらえば、人の仰せごとにはいらぬものにて候うなり。諸事恐々謹言

(御消息集・善性本・第二通)

 正嘉元(1257)年、親鸞八十五歳、弟子の浄信に宛てた返信の手紙です。全体を三段に分けると、第一段ではまず「如来の誓願を信ずる心のさだまる時と申すは、摂取不捨の利益にあずかるゆえに、不退の位にさだまる」と示し、信の一念に智慧をたまわる信体験の事実があることを明らかにしています。

 次いで、第二段では第一段をふまえて「このよにて、真実信心の人をばまぼらせ給えばこそ、『阿弥陀経』には、十方恒沙の諸仏護念すとは申す事にて候え」と加えて示し、摂取不捨の利益とは諸仏護念のことであることを明らかにしています。諸仏護念とはすなわち念仏三昧のことで、信の一念に生じた智慧が自在に働き出して念仏の行者を仏へと育てていくのです。それが摂取不捨の利益です。

 そして、最後の第三段では第二段をふまえて「補処の弥勒菩薩をはじめとして、仏智の不思議をはからうべき人は候わず」と述べています。智慧の働きである他力が自在に働くようになると、行者のおのおののはからう事はなくなって、「このこころのほかには往生にいるべきこと候わず」、最後には念仏三昧に入り終わって成仏を遂げるのであると、そのように教えていただいています。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-20 05:32 | ご消息集のこころ | Comments(0)

われ往生すべければとて

 われ往生すべければとて、すまじきことをもし、おもうまじきことをもいいなんどすることはあるべくもそうらわず。貪欲の煩悩にくるわされて、欲もおこり、瞋恚の煩悩にくるわされて、ねたむべきもなき因果をもやぶるこころもおこり、愚痴の煩悩にまどわされて、おもうまじきことなんどもおこるにてこそそうらえ。めでたき仏の御ちかいのあればとて、わざとすまじきことどもをもし、おもうまじきことどもをもおもいなんどせば、よくよく、この世のいとわしからず、身のわるきことをもおもいもしらぬにてそうらえば、念仏にこころざしもなく、仏の御ちかいにもこころざしのおわしまさぬにてそうらえば、念仏せさせたまうことも、その御こころざしにては、順次の往生もかたくやそうろうべからん。よくよくこのよしをひとびとに、きかせまいらせたまうべくそうらう。

(親鸞聖人御消息集・広本・第三通)

 『年表』によれば、建長四(1252)年の項には「親鸞、書状により関東の造悪無碍の風儀を制止」とあります。「造悪無碍」の邪義の根拠となっているのは親鸞の「悪をもおそれず」(歎異抄・第一章)への誤解です。その結果、「われ往生すべければとて、すまじきことをもし、おもうまじきことをもいいなんどする」御同行が出てきた。親鸞もいささか注意をしなくてはならなくなった。それが上に引用した『御消息』です。すると、この御消息を根拠に「本願ぼこりは往生しない」と親鸞の意を曲解する異義が現れてきた。このことを背景に書かれているのが歎異抄・第十三章で、「悪をおそれざるは、また、本願ぼこりとて、往生かなうべからずということ。この条、本願をうたがう、善悪の宿業をこころえざるなり」と異義者を批判するのです。「御消息に、「くすりあればとて、毒をこのむべからず」と、あそばされてそうろうは、かの邪執をやめんがためなり。まったく、悪は往生のさわりたるべしとにはあらず」と、唯円は造悪無碍の邪義を戒めつつも、喜んで念仏する御同行への同情を失わない。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-16 05:52 | ご消息集のこころ | Comments(0)

愚者になりて往生す

*1 なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。

*2 まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。如来の御はからいにて往生するよし、ひとびともうされ候いける、すこしもたがわず候うなり。としごろ、おのおのにもうし候いしこと、たがわずこそ候え。かまえて、学生沙汰せさせたまい候わで、往生をとげさせたまい候うべし。

*3 故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとてえませたまいしをみまいらせ候いき。ふみざたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。

*4 ひとびとにすかされさせたまわで、御信心たじろかせたまわずして、おのおの御往生候うべきなり。ただし、ひとにすかされたまい候わずとも、信心のさだまらぬひとは、正定聚に住したまわずして、うかれたまいたるひとなり。乗信房にかようにもうしそうろうようを、ひとびとにももうされ候うべし。あなかしこ、あなかしこ。

 文応元年十一月十三日 善信八十八歳
 乗信御房

(末燈鈔・第六通)

 文応元(1260)年、親鸞八十八歳、宛名の乗信房は常陸国奥郡の人。年、日付のある手紙としては最後の手紙です。全体を四段に分けると、まずは「生死無常のことわり」に触れ、第二段は「善信が身には、臨終の善悪をばもうさず」と、死を前にした自らの心境を述べている。第三段では「愚者になりて往生」した師・法然聖人の臨終の姿を回顧し、最後は「御信心たじろかせたまわずして、おのおの御往生候うべきなり」と、別れていく弟子たちへの遺言のような形で手紙は終わっている。

 信後の念仏相続の末、はからいがまったくなくなって、行き着く処に行き着いた。あとは成仏するばかりの念仏者の姿を、法然聖人は「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と教え、親鸞もこの手紙で「愚痴無智のひともおわりもめでたく候え」と述べている。どういうことかと言えば、はからい尽きて「愚者になりて往生す」という念仏者の到達点を示すとともに、自利利他円満してあとは「成仏」するばかりの自らの姿を見せることで、法然、親鸞が歩んだ往生の道をあなたたちも迷わず進みなさいと励ましているのです。


 また、親鸞はこうも言う。すなわち「善信が身には、臨終の善悪をばもうさず」と。仏教においてよい死も悪い死もない。無常敗壊の身を捨てるだけです。形ある方便の姿にあって、信心の人は常に形なき本来の命を見てきた。智慧も深まり、仏になることになんの疑いもなくなったから、親鸞は自らの住する境地を「等正覚のくらい」とも「如来とひとし」とも教えた。「乗信房にかようにもうしそうろうようを、ひとびとにももうされ候うべし」と、この手紙を周りの人たちに見せるよう促しているのも、死を前にした親鸞が自利利他円満の「成仏」を身をもって示そうとしているからです。親鸞、最後のご化導です。


 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-10 05:05 | ご消息集のこころ | Comments(0)

行をはなれたる信はなし

 四月七日の御ふみ、五月廿六日たしかにたしかにみ候いぬ。さては、おおせられたる事、信の一念、行の一念、ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆえは、行と申すは、本願の名号をひとこえとなえておうじょうすと申すことをききて、ひとこえをもとなえ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかいをききてうたがうこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこえするとききてうたがわねば、行をはなれたる信はなしとききて候う。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべく候う。これみな、みだの御ちかいと申すことをこころうべし。行と信とは御ちかいを申すなり。あなかしこ、あなかしこ。いのち候わば、かならずかならずのぼらせ給うべく候う。

 五月廿八日  (花押)
 覚信御房御返事

 専信坊、京ちかくなられて候うこそたのもしうおぼえ候え。また、御こころざしのぜに三百文、たしかにたしかにかしこまりて、たまわりて候う。

(親鸞聖人御消息集・広本・第十四通)

 建長八(1256)年、親鸞八十四歳、弟子の覚信の「信の一念、行の一念」についての質問に答える返信の手紙です。親鸞没後三十年に書かれた『歎異抄』にも「なんじは誓願不思議を信じて念仏もうすか、また名号不思議を信ずるかと、いいおどろかして」(第十一章)とありますが、親鸞存命の頃からあった異義と見えます。異義などというとオドロオドロしいが、要はまだ信心がわからない。わからないのにわかったように教えるから問題が生じる。

 さて、「信の一念」ということがある。どういうことかといえば、仏のお心を経験する。仏のお心を知ることと自分の心が見えるということは同じことです。見えたからといって自分のなにかが変わったということはないが、自分以外の大きな心に触れて自分が誰かがわかった。これが救われるということです。わたしを見そなわす眼がある。これがわかった一瞬が「信の一念」であり、わたしにかけられたお心があったことの驚き、わたしを縛っていた小さな心から離れられたことの喜び、そのようにして救っていただいた仏への感謝、その時はそんなことはまったくわからないが、それらが一つになって「一声の念仏」になるのです。だから「信の一念」と「行の一念」とは同時です。救われた喜びと、救っていただいた感謝は一つのことですから、「信の一念、行の一念、ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし」という親鸞のご化導です。信の一念に行が確立し、念仏から煩悩が照らされて仏への道に立たされて行く。念仏のお力で信心の智慧が深まっていく無碍の一道はその時から始まったのです。


 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-11-07 05:47 | ご消息集のこころ | Comments(0)

 この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにはあらざるなり。つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、なお義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなり。愚禿親鸞八十六歳


 正嘉二歳戊午十二月日、善法坊僧都御坊、三条とみのこうじの御坊にて、聖人にあいまいらせてのききがき。そのとき顕智これをかくなり。


(末燈鈔・第五通)

 救いの働きである弥陀仏のお誓いがすでにわたしにかけられている。法爾に自然に働くという道理の道筋がのみ込めたら、あとは弥陀仏のお誓いを信じるばかりです。汝を救うというお約束なのだから、われらには信じてお任せする一事しかない。それが「義なきを義とす」ということです。信じて念仏するだけで仏になる。こんな不思議なことはありません。それで仏智の不思議と申し上げます。愚禿親鸞八十六歳。

 この文書は、正嘉二(1258)年十二月十四日、親鸞聖人の御歳八十六歳のおり、関東から上京した弟子の顕智が、善法坊僧都御坊、三条富小路の坊にて、いくつかの疑問点についてお尋ねし、それについてのお答えを、顕智が聞き書きしたものです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-12-07 06:13 | ご消息集のこころ | Comments(0)

 自然というは、もとよりしからしむということばなり。弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききて候う。ちかいのようは、無上仏にならしめんとちかいたまえるなり。無上仏ともうすはかたちもなくまします。かたちのましまさぬゆえに、自然とはもうすなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とはもうさず。かたちもましまさぬようをしらせんとて、はじめて弥陀仏とぞききならいて候う。みだ仏は、自然のようをしらせんりょうなり。


(末燈鈔・第五通)

 さて、改めて自然について。自然とは元々、自ずからそのようになるという意味の言葉です。弥陀仏のお誓いとは、わたしの努力をすべて捨てて、南無阿弥陀仏と頼んだとき、その者をわが心の中に迎え入れようとのお約束ですから、頼んだ者は必ず救われるのです。救われた証拠には、善悪、好き嫌いを言う心がなくなります。わたしの意志に関係なく、弥陀仏のお誓いは必ず成就してわたしを救うので、自ずからそうなるという意味で、弥陀仏のお誓いを自然というと教えていただいております。

 弥陀仏のお誓いの内容はなにかと言えば、わたしをこの上ない仏にしようとお約束されたことです。この上ない仏とは目に見えない救いの働きのことをいいます。働きは目に見えない。目に見えないから自ずから然りです。形あるものは物であり心ではない。さとりの智慧は目に見えない。見えないから救いの働きという。形なくして働く救いの働きを、それと教えるために阿弥陀仏のお姿になって現れてくださった。そのお姿を拝して、救われよと、そうお聞きしております。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-12-06 06:15 | ご消息集のこころ | Comments(0)