◎浄土和讃
阿弥陀仏の御名をきき/歓喜讃仰せしむれば
安楽国をねがうひと/正定聚にこそ住すなれ
安楽国土の荘厳は/釈迦無碍のみことにて
安楽声聞菩薩衆/人天智慧ほがらかに
安楽浄土にいたるひと/五濁悪世にかえりては
安楽無量の大菩薩/一生補処にいたるなり
安楽仏土の依正は/法蔵願力のなせるなり
已今当の往生は/この土の衆生のみならず
一一のはなのなかよりは/三十六百千億の
一一のはなのなかよりは/三十六百千億の
観音勢至もろともに/慈光世界を照曜し
顔容端正たぐいなし/精微妙躯非人天
解脱の光輪きわもなし/光触かぶるものはみな
光雲無碍如虚空/一切の有碍にさわりなし
光明月日に勝過して/超日月光となづけたり
光明てらしてたえざれば/不断光仏となづけ
三塗苦難ながくとじ/但有自然快楽音
慈光はるかにかぶらしめ/ひかりのいたる
七宝講堂道場樹/方便化身の浄土なり
七宝樹林くににみつ/光曜たがいにかがやけり
七宝の宝池いさぎよく/八功徳水みちみてり
十方三世の無量慧/おなじく一如に乗じてぞ
十方衆生のためにとて/如来の法蔵あつめてぞ
十方諸有の衆生は/阿弥陀至徳の御名をきき
十方の無量菩薩衆/徳本うえんためにとて
清浄光明ならびなし/遇斯光のゆえなれば
自余の九方の仏国も/菩薩の往覲みなおなじ
自利利他円満して/帰命方便巧荘厳
神光の離相をとかざれば/無称光仏となづけ
信心歓喜慶所聞/乃曁一念至心者
神力自在なることは/測量すべきことぞなき
神力無極の阿弥陀は/無量の諸仏ほめたまう
神力本願及満足/明了堅固究竟願
清風宝樹をふくときは/いつつの音声いだし
相好ごとに百千の/ひかりを十方にはなちてぞ
たとい大千世界に/みてらん火をもすぎゆきて
智慧の光明はかりなし/有量の諸相ことごとく
道光明朗超絶せり/清浄光仏ともうすなり
若不生者のちかいゆえ/信楽まことにとき
仏慧功徳をほめしめて/十方の有縁にきかし
仏光測量なきゆえに/難思光仏となづけたり
仏光照曜最第一/光炎王仏となづけたり
宝林宝樹微妙音/自然清和の伎楽にて
弥陀成仏のこのかたは/いまに十劫をへた
弥陀初会の聖衆は/算数のおよぶことぞなき
弥陀の浄土に帰しぬれば /すなわち諸仏に
弥陀の名号となえつつ/信心まことにうるひと
妙土広大超数限/本願荘厳よりおこる
無明の闇を破するゆえ/智慧光仏となづけたり

◎高僧和讃
釈迦弥陀は慈悲の父母/種種に善巧方便し
真宗念仏ききえつつ/一念無疑なるをこそ 
本願力にあいぬれば/むなしくすぐるひとぞ
無碍光如来の名号と/かの光明智相とは

◎正像末和讃
罪福信ずる行者は/仏智の不思議をうたがいて 
聖道門のひとはみな/自力の心をむねとして
浄土真宗に帰すれども/真実の心はありがたし
浄土の大菩提心は/願作仏心をすすめしむ
仏智の不思議を疑惑して/罪福信じ善本を
弥陀智願の広海に/凡夫善悪の心水も
無慚無愧のこの身にて/まことのこころは

(2016.11.21~)





by zenkyu3 | 2018-08-12 06:00 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

讃阿弥陀仏偈和讃(原文)

『讃阿弥陀仏偈和讃』全四十八首
     
南無阿弥陀仏

①仏の成道一首
1
弥陀成仏のこのかたは
 いまに十劫をへたまえり
 法身の光輪きわもなく
 世の盲冥をてらすなり

②如来の荘厳十二首
2
智慧の光明はかりなし
 有量の諸相ことごとく
 光暁かぶらぬものはなし
 真実明に帰命せよ
3
解脱の光輪きわもなし
 光触かぶるものはみな
 有無をはなるとのべたまう
 平等覚に帰命せよ
4
光雲無碍如虚空
 一切の有碍にさわりなし
 光沢かぶらぬものぞなき
 難思議を帰命せよ
5
清浄光明ならびなし
 遇斯光のゆえなれば
 一切の業繫ものぞこりぬ
 畢竟依を帰命せよ
6
仏光照曜最第一
 光炎王仏となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大応供を帰命せよ
7
道光明朗超絶せり
 清浄光仏ともうすなり
 ひとたび光照かぶるもの
 業垢をのぞき解脱をう
8
慈光はるかにかぶらしめ
 ひかりのいたるところには
 法喜をうとぞのべたまう
 大安慰を帰命せよ
9
無明の闇を破するゆえ
 智慧光仏となづけたり
 一切諸仏三乗衆
 ともに嘆誉したまえり
10
光明てらしてたえざれば
 不断光仏となづけたり
 聞光力のゆえなれば
 心不断にて往生す
11
仏光測量なきゆえに
 難思光仏となづけたり
 諸仏は往生嘆じつつ
 弥陀の功徳を称せしむ
12
神光の離相をとかざれば
 無称光仏となづけたり
 因光成仏のひかりをば
 諸仏の嘆ずるところなり
13
光明月日に勝過して
 超日月光となづけたり
 釈迦嘆じてなおつきず
 無等等を帰命せよ

③聖衆の荘厳十一首
14
弥陀初会の聖衆は
 算数のおよぶことぞなき
 浄土をねがわんひとはみな
 広大会を帰命せよ
15
安楽無量の大菩薩
 一生補処にいたるなり
 普賢の徳に帰してこそ
 穢国にかならず化するなれ
16
十方衆生のためにとて
 如来の法蔵あつめてぞ
 本願弘誓に帰せしむる
 大心海を帰命せよ
17
観音勢至もろともに
 慈光世界を照曜し
 有縁を度してしばらくも
 休息あることなかりけり
18
安楽浄土にいたるひと
 五濁悪世にかえりては
 釈迦牟尼仏のごとくにて
 利益衆生はきわもなし
19
神力自在なることは
 測量すべきことぞなき
 不思議の徳をあつめたり
 無上尊を帰命せよ
20
安楽声聞菩薩衆
 人天智慧ほがらかに
 身相荘厳みなおなじ
 他方に順じて名をつらぬ
21
顔容端正たぐいなし
 精微妙躯非人天
 虚無之身無極体
 平等力を帰命せよ
22
安楽国をねがうひと
 正定聚にこそ住すなれ
 邪定不定聚くにになし
 諸仏讃嘆したまえり
23
十方諸有の衆生は
 阿弥陀至徳の御名をきき
 真実信心いたりなば
 おおきに所聞を慶喜せん
24
若不生者のちかいゆえ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ

④国土の荘厳二十四首
25
安楽仏土の依正は
 法蔵願力のなせるなり
 天上天下にたぐいなし
 大心力を帰命せよ
26
安楽国土の荘厳は
 釈迦無碍のみことにて
 とくともつきじとのべたもう
 無称仏を帰命せよ
27
已今当の往生は
 この土の衆生のみならず
 十方仏土よりきたる
 無量無数不可計なり
28
阿弥陀仏の御名をきき
 歓喜讃仰せしむれば
 功徳の宝を具足して
 一念大利無上なり
29
たとい大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなうなり
30
神力無極の阿弥陀は
 無量の諸仏ほめたまう
 東方恒沙の仏国より
 無数の菩薩ゆきたまう
31
自余の九方の仏国も
 菩薩の往覲みなおなじ
 釈迦牟尼如来偈をときて
 無量の功徳をほめたまう
32
十方の無量菩薩衆
 徳本うえんためにとて
 恭敬をいたし歌嘆す
 みなひと婆伽婆を帰命せよ
33
七宝講堂道場樹
 方便化身の浄土なり
 十方来生きわもなし
 講堂道場礼すべし
34
妙土広大超数限
 本願荘厳よりおこる
 清浄大摂受に
 稽首帰命せしむべし
35
自利利他円満して
 帰命方便巧荘厳
 こころもことばもたえたれば
 不可思議尊を帰命せよ
36
神力本願及満足
 明了堅固究竟願
 慈悲方便不思議なり
 真無量を帰命せよ
37
宝林宝樹微妙音
 自然清和の伎楽にて
 哀婉雅亮すぐれたり
 清浄楽を帰命せよ
38
七宝樹林くににみつ
 光曜たがいにかがやけり
 華菓枝葉またおなじ
 本願功徳聚を帰命せよ
39
清風宝樹をふくときは
 いつつの音声いだしつつ
 宮商和して自然なり
 清浄勲を礼すべし
40
一一のはなのなかよりは
 三十六百千億の
 光明てらしてほがらかに
 いたらぬところはさらになし
41
一一のはなのなかよりは
 三十六百千億の
 仏身もひかりもひとしくて
 相好金山のごとくなり
42
相好ごとに百千の
 ひかりを十方にはなちてぞ
 つねに妙法ときひろめ
 衆生を仏道にいらしむる
43
七宝の宝池いさぎよく
 八功徳水みちみてり
 無漏の依果不思議なり
 功徳蔵を帰命せよ
44
三塗苦難ながくとじ
 但有自然快楽音
 このゆえ安楽となづけたり
 無極尊を帰命せよ
45
十方三世の無量慧
 おなじく一如に乗じてぞ
 二智円満道平等
 摂化随縁不思議なり
46
弥陀の浄土に帰しぬれば
 すなわち諸仏に帰するなり
 一心をもちて一仏を
 ほむるは無碍人をほむるなり
47
信心歓喜慶所聞
 乃曁一念至心者
 南無不可思議光仏
 頭面に礼したてまつれ
48
仏慧功徳をほめしめて
 十方の有縁にきかしめん
 信心すでにえんひとは
 つねに仏恩報ずべし
 
已上四十八首 愚禿親鸞作
by zenkyu3 | 2018-08-11 06:01 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

讚阿彌陀佛偈(原文)

讚阿彌陀佛偈
曇鸞和尚造

南無阿彌陀佛 
釋して無量壽傍經と名く
讚して奉りて亦安養と曰ふ

(仏荘厳)

1
現に西方此の界を去ること 
十萬億刹の安樂土に在ます 
佛世尊を阿彌陀と號けたてまつる 
我往生を願じて歸命し禮したてまつる

2
成佛より已來十劫を歴たまへり 
壽命方將に量り有ること無けん 
法身の光輪法界に徧じて 
世の盲冥を照らす故に頂禮したてまつる

◎弥陀成仏のこのかたは
 いまに十劫をへたまえり
 法身の光輪きわもなく
 世の盲冥をてらすなり

3
智惠の光明量るべからず 
故に佛を又無量光と号す 
有量の諸相光曉を蒙る 
是の故に眞實明を稽首したてまつる

◎智慧の光明はかりなし
 有量の諸相ことごとく
 光暁かぶらぬものはなし
 真実明に帰命せよ

4
解脱の光輪限齊無し 
故に佛を又無邊光と号す 
光觸を蒙る者有無を離る 
是の故に平等覺を稽首したてまつる

◎解脱の光輪きわもなし
 光触かぶるものはみな
 有無をはなるとのべたまう
 平等覚に帰命せよ

5
光雲無礙にして虚空の如し 
故に佛を又無礙光と号す 
一切の有礙光澤を蒙る 
是の故に難思議を頂禮したてまつる

◎光雲無碍如虚空
 一切の有碍にさわりなし
 光沢かぶらぬものぞなき
 難思議を帰命せよ

6
淸淨の光明對ぶもの有ること無し 
故に佛を又無對光と号す 
斯の光に遇ふ者は業繋除こる 
是の故に畢竟依を稽首したてまつる

◎清浄光明ならびなし
 遇斯光のゆえなれば
 一切の業繫ものぞこりぬ
 畢竟依を帰命せよ

7
佛光照曜して最第一なり 
故に佛を又光炎王と号す 
三塗の黑闇光啓を蒙る 
是の故に大應供を頂禮したてまつる

◎仏光照曜最第一
 光炎王仏となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大応供を帰命せよ

8
道光明朗にして色超絶したまへり 
故に佛を又淸淨光と号す 
一たび光照を蒙るものは罪垢除こり 
皆解脱を得故に頂禮したてまつる

◎道光明朗超絶せり
 清浄光仏ともうすなり
 ひとたび光照かぶるもの
 業垢をのぞき解脱をう

9
慈光遐に被らしめ安樂を施す 
故に佛を又歡喜光と号す 
光の至る所處法喜を得 
大安慰を稽首し頂禮したてまつる

◎慈光はるかにかぶらしめ
 ひかりのいたるところには
 法喜をうとぞのべたまう
 大安慰を帰命せよ

10
佛光能く無明の闇を破す 
故に佛を又智惠光と号す 
一切諸佛三乘衆 
咸く共に歎譽す故に稽首したてまつる

◎無明の闇を破するゆえ
 智慧光仏となづけたり
 一切諸仏三乗衆
 ともに嘆誉したまえり

11
光明一切の時普く照らす 
故に佛を又不斷光と号す 
聞光力の故に心斷えずして 
皆往生を得故に頂禮したてまつる

◎光明てらしてたえざれば
 不断光仏となづけたり
 聞光力のゆえなれば
 心不断にて往生す

12
其の光佛を除きては能く測るもの莫し 
故に佛を又難思光と号す 
十方諸佛往生を歎じ 
其の功德を稱す故に稽首したてまつる

◎仏光測量なきゆえに
 難思光仏となづけたり
 諸仏は往生嘆じつつ
 弥陀の功徳を称せしむ

13
神光は相を離れたれば名くべからず 
故に佛を又無稱光と号す 
光に因て成佛したまふ光赫然たり 
諸佛の歎じたまふ所なり故に頂禮したてまつる

◎神光の離相をとかざれば
 無称光仏となづけたり
 因光成仏のひかりをば
 諸仏の嘆ずるところなり

14
光明照曜して日月に過ぎたり 
故に佛を超日月光と号す 
釋迦佛歎じたまふも尚盡きず 
故に我無等等を稽首したてまつる

◎光明月日に勝過して
 超日月光となづけたり
 釈迦嘆じてなおつきず
 無等等を帰命せよ

(菩薩荘厳)

15
阿彌陀佛の初會の衆は 
聲聞・菩薩の數無量なり 
神通巧妙にして筭ふること能はず 
是の故に廣大會を稽首したてまつる

◎弥陀初会の聖衆は
 算数のおよぶことぞなき
 浄土をねがわんひとはみな
 広大会を帰命せよ

16
安樂の無量の摩訶薩は 
咸當に一生にして佛處を補ふべし 
其の本願の大弘誓 
普く諸の衆生を度脱せんと欲はんをば除く 
斯等の寶林功德聚を 
一心に合掌し頭面に禮したてまつる

◎安楽無量の大菩薩
 一生補処にいたるなり
 普賢の徳に帰してこそ
 穢国にかならず化するなれ

17
安樂國土の諸の聲聞は 
皆光一尋にして流星の若し 
菩薩の光輪は四千里にして 
秋の滿月の紫金に映ずるが若し 
佛の法藏を集めて衆生の爲にす 
故に我大心海を頂禮したてまつる

◎十方衆生のためにとて
 如来の法蔵あつめてぞ
 本願弘誓に帰せしむる
 大心海を帰命せよ

18
又觀世音・大勢至は 
諸の聖衆に於て最も第一なり 
慈光大千界を照曜し 
佛の左右に侍して神儀を顯す 
諸の有縁を度して暫くも息まざること 
大海の潮の時を失せざるが如し 
是の如き大悲・大勢至を 
一心に稽首し頭面に禮したてまつる

◎観音勢至もろともに
 慈光世界を照曜し
 有縁を度してしばらくも
 休息あることなかりけり

19
其れ衆生有りて安樂に生ずれば 
悉く三十有二相を具す 
智慧滿足して深法に入る 
道要を究暢して障礙無し 
根の利鈍に隨ひて忍を成就す 
二忍乃至不可計なり 
宿命五通常に自在にして 
佛に至るまで雜惡趣に更らず 
佗方の五濁の世に生れて 
示現して同じく大牟尼のごとくならんをば除く
安樂國に生ずれば大利を成ず 
是の故に心を至して頭面に禮したてまつる

◎安楽浄土にいたるひと
 五濁悪世にかえりては
 釈迦牟尼仏のごとくにて
 利益衆生はきわもなし

20
安樂の菩薩佛の神を承けて 
一食の頃に於て十方に詣る 
筭數すべからざる佛世界にして 
諸の如來を恭敬し供養したてまつる 
華・香・伎樂念に從ひて現じ 
寶蓋・幢幡意に隨ひて出づ 
珍奇世に絶し能く名づくること無し 
散華して殊異の寶を供養したてまつる 
化して華蓋と成り光晃耀し 
香氣普く薰じて周からざる莫し 
華蓋の小なる者も四百里なり 
乃し遍く一佛界を覆ふ有り 
其の前後に隨ひて次をもて化して去る 
是の諸の菩薩僉欣悅す 
虚空の中に於て天の樂を奏す 
雅讚・德頌し佛慧を揚ぐ 
經法を聽受して供養し已れば 
未だ食せざる前に虚に騰りて還る 
神力自在にして測るべからず 
故に我無上尊を頂禮したてまつる

◎神力自在なることは
 測量すべきことぞなき
 不思議の徳をあつめたり
 無上尊を帰命せよ

21
安樂佛國の諸の菩薩は 
夫れ宣説すべきところには智慧に隨ふ 
己が萬物に於て我所を亡ず 
淨きこと蓮華の塵を受けざるが若し 
往來進止汎べる舟の若し 
利安を務めと爲して適莫を捨つ 
彼も己も猶空にして二想を斷ず 
智慧の炬を然して長夜を照らす 
三明六通皆已に足れり 
菩薩の萬行心眼を貫く 
是の如きの功德邊量無し 
是の故に心を至して頭面に禮したてまつる

22
安樂の聲聞・菩薩衆 
人・天、智惠咸く洞達せり 
身相の莊嚴殊異無し 
但佗方に順ずるが故に名を列ぬ 
顏容端正にして比ぶべき無し 
精微妙軀にして人天に非ず 
虚無の身無極の體なり 
是の故に平等力を頂禮したてまつる

◎安楽声聞菩薩衆
 人天智慧ほがらかに
 身相荘厳みなおなじ
 他方に順じて名をつらぬ

◎顔容端正たぐいなし
 精微妙躯非人天
 虚無之身無極体
 平等力を帰命せよ

23
敢て能く安樂國に生ずることを得ば 
皆悉く正定聚に住す 
邪定・不定は其の國に無し 
諸佛咸く讚じたまふ故に頂禮したてまつる

◎安楽国をねがうひと
 正定聚にこそ住すなれ
 邪定不定聚くにになし
 諸仏讃嘆したまえり

24
諸阿彌陀の德号を聞きて 
信心歡喜して聞く所を慶ばんこと 
乃ち一念に曁ぶまで至心の者 
廻向したまへり生ぜんと願ずれば皆住を得しむ
唯五逆と謗正法とをば除く 
故に我頂禮して往生を願ず

◎十方諸有の衆生は
 阿弥陀至徳の御名をきき
 真実信心いたりなば
 おおきに所聞を慶喜せん

◎若不生者のちかいゆえ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ

25
安樂の菩薩・聲聞の輩は 
此の世界に於て比方無し 
釋迦無礙の大辯才もて 
諸の假令を設けて少分を示し 
最賤の乞人を帝王に竝べ 
帝王を復金輪王に比す 
是の如く展轉して六天に至る 
次第して相形すこと皆始めの如し 
天の色像を以て彼に喩ふるに 
千萬億倍すとも其の類に非ず 
皆是法藏願力の爲せるなり 
大心力を稽首し頂禮したてまつる

◎安楽仏土の依正は
 法蔵願力のなせるなり
 天上天下にたぐいなし
 大心力を帰命せよ

26
天人は一切須ふる所有らんに 
欲に稱ひ念に應じて至らざる無し 
一寶・二寶・無量寶 
心に隨ひて受用の具を化造す 
堂宇・飮食悉く此の如し 
故に我無稱佛を稽首したてまつる

◎安楽国土の荘厳は
 釈迦無碍のみことにて
 とくともつきじとのべたもう
 無称仏を帰命せよ

27
諸の往生する者悉く 
淸淨の色身を具足して比ぶべき無し 
神通功德及び宮殿 
服飾の莊嚴は六天の如し
應器の寶鉢自然に至り 
百味の嘉餚儵ち已に滿つ 
色を見香りを聞き意に食せんと爲れば 
忽然として飽足し適悅を受く 
味ふ所淸淨にして著する所無し 
事已れば化し去り須ひんとすれば復現ず 
晏安快樂は泥洹に次し 
是の故に心を至して頭面に禮したてまつる

28
十方佛土の菩薩衆 
及び諸の比丘安樂に生ずるもの 
無量無數にして計るべからず 
已生・今生・當亦然なり 
皆曾て無量の佛を供養し 
百千堅固の法を攝取す 
是の如き大士悉く往生す 
是の故に阿彌陀を頂禮したてまつる

◎已今当の往生は
 この土の衆生のみならず
 十方仏土よりきたる
 無量無数不可計なり

29
若し阿彌陀の德號を聞きて 
歡喜讚仰し心歸依すれば 
下一念に至るまで大利を得 
則ち功德の寶を具足すと爲す 
設ひ大千世界に滿てらん火をも 
亦應に直に過ぎて佛の名を聞くべし 
阿彌陀を聞かば復退せず 
是の故に心を至して稽首し禮したてまつる

◎阿弥陀仏の御名をきき
 歓喜讃仰せしむれば
 功徳の宝を具足して
 一念大利無上なり

◎たとい大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなうなり

30
神力無極の阿彌陀は 
十方無量の佛に歎ぜ所れたまふ 
東方洹沙の諸の佛國の 
菩薩無數にして皆往覲す 
亦復安樂國の 
菩薩・聲聞・諸の大衆を供養し 
經法を聽受して道化を宣ぶ 
自餘の九方も亦是の如し 
釋迦如來偈を説きて 
無量の功德を頌す故に頂禮したてまつる

◎神力無極の阿弥陀は
 無量の諸仏ほめたまう
 東方恒沙の仏国より
 無数の菩薩ゆきたまう

◎自余の九方の仏国も
 菩薩の往覲みなおなじ
 釈迦牟尼如来偈をときて
 無量の功徳をほめたまう

31
諸來の無量菩薩衆 
德本を殖えんが爲に虔恭を致す 
或は音樂を奏して佛を歌歎し 
或は佛慧世間を照らすを頌す 
或は天の華衣を以て供養し 
或は淨土を覩て等願を興す 
是の如き聖衆悉く現前し 
八梵聲もて佛記を授くるを蒙り 
一切の菩薩願行を增す 
故に我婆伽婆を頂禮したてまつる

◎十方の無量菩薩衆
 徳本うえんためにとて
 恭敬をいたし歌嘆す
 みなひと婆伽婆を帰命せよ

32
聖主世尊説法の時 
大衆七寶の堂に雲集し 
佛の開示を聽きて咸く悟入す 
歡喜充遍して皆道を得 
時に四面より淸風起り 
寶樹を撃動して妙響を出す 
和韻淸徹にして糸竹に過ぎたり 
金石に踰えて倫比無し 
天華繽紛として香風を逐ひ 
自然の供養常にして息まず 
諸天復天の華香を持して 
百千の伎樂を用て敬を致す 
是の如き功德三寶聚 
故に我想を運らして講堂を禮す

◎七宝講堂道場樹
 方便化身の浄土なり
 十方来生きわもなし
 講堂道場礼すべし

(国土荘厳)

33
妙土廣大にして數限を超ゆ 
自然の七寶もて合成せ所れたり 
佛の本願力の莊嚴より起る 
淸淨大攝受を稽首したてまつる

◎妙土広大超数限
 本願荘厳よりおこる
 清浄大摂受に
 稽首帰命せしむべし

34
世界の光曜妙にして殊絶す 
適悅晏安として四時無し 
自利利佗の力圓滿したまふ 
方便巧莊嚴に歸命したてまつる 
寶地澄靜にして平なること掌の如く 
山川・陵谷の阻て有ること無し 
若し佛の神力を須ふれば則ち見はる 
不可思議尊を稽首したてまつる

◎自利利他円満して
 帰命方便巧荘厳
 こころもことばもたえたれば
 不可思議尊を帰命せよ

35
道樹の高さ四百萬里 
周圍由旬五十有り 
枝葉布くこと里二十萬 
自然の衆寶もて合成する所なり 
月光摩尼・海輪寶 
衆寶の王もて而も莊嚴す 
周匝して間に垂るる寶の瓔珞は 
百千萬種の色に變異す 
光焰照曜すること千日に超え 
無極の寶網其上を覆ふ 
一切の莊嚴應に隨ひて現ず 
道場樹を稽首し頂禮したてまつる

36
微風樹を吹きて法音を出し 
普く十方諸佛の刹に流る 
斯の音を聞くもの深法忍を得 
佛道を成ずるに至るまで苦に遭はず 
神力廣大にして量るべからず 
道場樹を稽首し頂禮したてまつる

37
樹香・樹色・樹音聲・
樹觸・樹味及び樹法 
六情遇ふ者法忍を得 
故に我道場樹を頂禮したてまつる

38
道場樹六根に對するを蒙り 
乃ち成佛に至るまで根淸徹なり 
音響・柔順・無生忍 
力の淺深に隨ひて咸く證を得 
此の樹の威德の由來する所 
皆是如來五種の力なり 
神力・本願及び滿足・ 
明了・堅固・究竟願 
慈悲・方便稱るべからず 
眞無量を歸命し稽首したてまつる

◎神力本願及満足
 明了堅固究竟願
 慈悲方便不思議なり
 真無量を帰命せよ

39
世の帝王從り六天に至るまで 
音樂轉た妙にして八重有り 
展轉して前に勝ること億萬倍 
寶樹の音の麗しきこと倍た亦然なり 
復自然の妙なる伎樂有り 
法音淸和にして心神を悅ばしめ 
哀婉雅亮にして十方に超ゆ 
故に我淸淨樂を稽首したてまつる

◎宝林宝樹微妙音
 自然清和の伎楽にて
 哀婉雅亮すぐれたり
 清浄楽を帰命せよ

40
七寶の樹林世界に周し 
光耀鮮明にして相映發す 
華菓枝葉更互に爲す 
本願功德聚を稽首したてまつる

◎七宝樹林くににみつ
 光曜たがいにかがやけり
 華菓枝葉またおなじ
 本願功徳聚を帰命せよ

41
淸風時時寶樹を吹くに 
五の音聲を出して宮商和す 
微妙の雅曲自然に成ず 
故に我淸淨薫を頂禮したてまつる

◎清風宝樹をふくときは
 いつつの音声いだしつつ
 宮商和して自然なり
 清浄勲を礼すべし

42
其の土廣大にして崖際無し 
衆寶の羅網遍く上に覆へり 
金縷・珠璣奇異の珍 
不可名の寶を挍飾と爲す 
四面に周匝して寶鈴を垂る 
調風吹き動かして妙法を出す 
和雅の德香常に流布せり 
聞く者塵勞の習も起らず 
此の風身に觸るれば快樂を受くること 
比丘の滅盡定を得るが如し 
風吹きて華を散らし佛土に滿つ 
色の次第に隨ひて雜亂せず 
華質柔輭にして烈芬芳たり 
足其の上を履むに下ること四指 
足を擧ぐる時に隨ひて還故の如し 
用ひ訖れば地開き沒して遺ること無し 
其の時節に隨ひて華六返す 
不可議の報なり故に頂禮したてまつる

43
衆寶の蓮華世界に盈つ 
一一の華に百千億の葉あり 
其の葉の光明の色無量なり 
朱・紫・紅・緑五色に間はり 
煒燁煥爛として日光のごとく曜く 
是の故に一心に稽首し禮したてまつる

44
一一の華の中より出す所の光 
三十六百有千億なり 
一一の光の中に佛身有り 
多少亦出す所の光の如し 
佛身の相好金山の如し 
一一又百千の光を放ち 
普く十方の爲に妙法を説き 
各々衆生を佛道に安ず 
是の如き神力邊量無し 
故に我阿彌陀に歸命したてまつる

◎一一のはなのなかよりは
 三十六百千億の
 光明てらしてほがらかに
 いたらぬところはさらになし

◎一一のはなのなかよりは
 三十六百千億の
 仏身もひかりもひとしくて
 相好金山のごとくなり

◎相好ごとに百千の
 ひかりを十方にはなちてぞ
 つねに妙法ときひろめ
 衆生を仏道にいらしむる

45
樓閣・殿堂工造に非ず 
七寶の彫綺化して成る所なり 
明月・珠璫の交露幔もて 
各々浴池有り形相稱ひ 
八功德の水池の中に滿てり 
色味香潔にして甘露の如し 
黄金の池には白銀の沙あり 
七寶の池の沙互に此の如し 
池岸の香樹上に垂れ布き 
栴檀芬馥として常に馨を流す 
天華璀璨として映飾を爲す 
水上熠燿として景雲の若し 
無漏の依果思議し難し 
是の故に功德藏を稽首したてまつる

◎七宝の宝池いさぎよく
 八功徳水みちみてり
 無漏の依果不思議なり
 功徳蔵を帰命せよ

46
菩薩・聲聞寶池に入る 
意に隨ひて淺深欲する所の如し 
若し身に潅がんと須れば自然に注ぐ 
旋り復さしめむと欲すれば水尋ち還る 
調和冷暖にして稱はざること無し 
神を開き體を悅ばしめて心垢を蕩ふ 
淸明澄潔にして形無きが若し 
寶沙映徹して深からざるが如し 
澹淡廻轉相注潅す 
婥約容豫人の神を和らぐ 
微波無量にして妙響を出す 
其の所應に隨ひて法語を聞く 
或は三寶の妙章を聞き 
或は寂靜・空・無我を聞き 
或は無量波羅蜜・ 
力・不共法・諸通慧を聞き 
或は無作・無生忍 乃至甘露・潅頂の法を聞く
根の性欲に隨ひて皆歡喜す 
三寶の相と眞實の義に順ひて 
菩薩・聲聞所行の道 
是に於て一切悉く具に聞く 
三塗苦難の名永く閉ぢ 
但自然快樂の音のみ有り 
是の故に其の國を安樂と號す 
頭面に無極尊を頂禮したてまつる

◎三塗苦難ながくとじ
 但有自然快楽音
 このゆえ安楽となづけたり
 無極尊を帰命せよ

(結讃)

47
本師龍樹摩訶薩 
形像を誕ず始めて頽綱を理る 
邪扇を關閉して正轍を開く 
是閻浮提の一切の眼なり 
尊語を伏承して歡喜地にして 
阿彌陀に歸して安樂に生ぜしむ

48
譬へば龍動けば雲必ず隨ふが如く 
閻浮提に百卉を放ち舒ぶ 
南無慈悲龍樹尊 
心を至し歸命し頭面に禮したてまつる

49
我無始從り三界に循りて 
虚妄輪の爲に廻轉せらる 
一念一時に造る所の業 
足六道に繋がれ三塗に滯まる 
唯願はくは慈光我を護念して 
我をして菩提心を失せざらしめたまへ 
我佛惠功德の音を讚ず 
願はくは十方の諸の有縁に聞かしめて 
安樂に往生を得んと欲はん者 
普く皆意の如くにして障礙無からしめん 
所有功德若しは大少 
一切に廻施して共に往生せしめん 
不可思議光に南無し 
一心に歸命し稽首して禮したてまつる

◎仏慧功徳をほめしめて
 十方の有縁にきかしめん
 信心すでにえんひとは
 つねに仏恩報ずべし

◎信心歓喜慶所聞
 乃曁一念至心者
 南無不可思議光仏
 頭面に礼したてまつれ

50
十方三世の無量慧 
同じく一如に乘じて正覺と号す 
二智圓滿して道平等なり 
攝化縁に隨ふ故に若干ならん 
我阿彌陀の淨土に歸するは 
即ち是諸佛の國に歸命するなり 
我一心を以て一佛を讚ず 
願はくは十方無礙人に徧ぜん 
是の如き十方無量佛 
咸く各々心を至して頭面に禮したてまつる

◎十方三世の無量慧
 おなじく一如に乗じてぞ
 二智円満道平等
 摂化随縁不思議なり

◎弥陀の浄土に帰しぬれば
 すなわち諸仏に帰するなり
 一心をもちて一仏を
 ほむるは無碍人をほむるなり

讚一百九十五 禮五十一拜

讃阿弥陀仏偈

◎は讃阿弥陀仏偈和讃


by zenkyu3 | 2018-08-11 05:50 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

正信念仏偈(原文)

正信念仏偈(原文)

①総讃

帰命無量寿如来 南無不可思議光

②依経段

(弥陀章)
1法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
2覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
3建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
4五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
5普放無量無辺光 無碍無対光炎王
6清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
7超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
8本願名号正定業 至心信楽願為因
9成等覚証大涅槃 必至滅度願成就

(釈迦章)
1如来所以興出世 唯説弥陀本願海
2五濁悪時群生海 応信如来如実言
3能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
4凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味
5摂取心光常照護 已能雖破無明闇
6貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
7譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
8獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
9一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願
10仏言広大勝解者 是人名分陀利華

(結誡)
1弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生
2信楽受持甚以難 難中之難無過斯

③依釈段

(総讃)
1印度西天之論家 中夏日域之高僧
2顕大聖興世正意 明如来本誓応機

(龍樹章)
1釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
2龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
3宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
4顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
5憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
6唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩

(天親章)
1天親菩薩造論説 帰命無碍光如来
2依修多羅顕真実 光闡横超大誓願
3広由本願力回向 為度群生彰一心
4帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数
5得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
6遊煩悩林現神通 入生死園示応化

(曇鸞章)
1本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
2三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
3天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
4往還回向由他力 正定之因唯信心
5惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃
6必至無量光明土 諸有衆生皆普化

(道綽章)
1道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
2万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
3三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引
4一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

(善導章)
1善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪
2光明名号顕因縁 開入本願大智海
3行者正受金剛心 慶喜一念相応後
4与韋提等獲三忍 即証法性之常楽

(源信章)
1源信広開一代教 偏帰安養勧一切
2専雑執心判浅深 報化二土正弁立
3極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中
4煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

(源空章)
1本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人
2真宗教証興片州 選択本願弘悪世
3還来生死輪転家 決以疑情為所止
4速入寂静無為楽 必以信心為能入

(結勧)
1弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪
2道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説

六十行已畢 一百二十句

(教行信証・行巻)



by zenkyu3 | 2018-06-24 05:37 | 仏からの道・資料集 | Comments(2)

 仏の心に出会うまで


 1 はじめに

 わたしは自分の人生にたいへん満足している。といって、金があるわけでも女房がとくに美人だからというわけでもない。仏法に出会えたこと、すなわち人間世界を超えた真実が確かにあったことを知った人生だからだ。求めるべき人生最高の宝を手にした喜びといっていい。

 たまたま私は念仏の教えによって真実を知る経験を持ったが、もともと家庭が門徒であったわけでも、人に勧められて念仏を始めたわけでもない。私が念仏に出会えたのも学生時代に抱えたテーマ、誰もが一度は通る、そして、皆が素通りしてしまう「何のために生きるのか」というテーマを青臭い学生よろしく後生大事に引きずってきたからだろうということになる。

 2 永遠の命

 さて、これから述べようとしているのは一般に廻心と呼ばれている経験のことで、親鸞さんは信心獲得といっているが、何かのきっかけで人間の心がつくっている世界を心そのものが超え出てしまって、人間の心が根本的に転換してしまう事態をいっているのだろうと私は考えている。

 心がつくった世界そのものを超えることだから、どんなに頭で観念をこらしたり心を純化しても超え出ることの不可能な道、むこうからの一方通行の道である。そのような人間世界と隔絶した絶対世界がどのようにして、今生、この有限の身に現前するのか。

 わたしたちは通常「こちら」から「あちら」、むこうにある対象をこちらから見るという「ものの見方」をしているが、私たちが日常的に経験するこの世界を超え出る体験をするとき、不思議なことに「あちら」から「こちら」の世界を見るような「ものの見え方」を獲得する。

 そうすると、こちらの世界、つまり私たちの棲むこの世界が実は客観的に実在する世界ではなくて、私たち人間の心がつくっている仮構の世界だということがわかってくる。するといつも自分の心にわきあがってくる感情や想念への執着心が相対化されて、絶え間なくわきあがる思いに拘束されにくくなる。

 この「ものの見え方」を初めて獲得する経験を廻心といい、この「ものの見え方」を可能にする不思議な働きこそ、釈尊をはじめ多くの人たちを目覚まし続けてきた永遠の命であった。

 この「ものの見え方」がさらに純化されてくると、人間及び自分の心のあさましさが余計にはっきりしてきて、精神生活の中に自ずと懺悔を生じる。ただし、懺悔はエゴを補強するような人間的な知恵による自己反省とは本質的に違うから、必ずしも自己改善を要求しない。

 とはいっても、あさましい姿を見ればそのままでいいとは思えないものだから、なにやら自然と修行者らしくなって人生を歩まされていくのはこのためである。その「ものの見え方」を与え施すことで迷いの事実に目覚ませ救おうとする永遠の働き、それを仏とも本願ともいうのだと私は考えている。それでは、私が信心を獲得するに到った経緯を次に述べる。


3 仕事での挫折

 ちょうど5年前、私は自分の企画で始めた新規事業に失敗して、いや自ら放棄して、親身に育ててきた部下も捨て出奔してしまった。やがて家には戻ったが何をする勇気もなく、ただ仕事を貫徹できない非力さと部下を裏切った卑怯者という烙印を背にして、会社へ行っても何もすることのない日々を3ヵ月程過ごしていた。

 道ばたの小石にすら卑怯者と見下げられているような恥ずかしさの中で息をしていた。最低の人間だった。そんなときに書店で見つけたのが『わが名を称えよ』という本で、これが心に響いて、誰もいない事務所で毎日仕事のように読んでいた。

 やがて札幌を離れ東京での単身赴任が始まり、真宗会館で聞法するようになったが、後生願いの年寄りむけの話ばかりで、ちっとも好きになれなかった。もうここで「人生が何なのか」が分からなかったら俺の人生も終わりだと、思い詰めて過ごす悲惨な毎日だったものの、幸い仕事は窓際で、アパートでは単身だったので読書はふんだんにできた。

 念仏も口真似で称えたが、何の意味があって称えるのかと疑ってする念仏だった。しかし、ともかくも、仏のことしか考えていなかった。そんな中、聞法を始めて4ヵ月ほどたった頃、ある経験をした。


 4 聞法の生活

 例によって、単身生活のアパートで真宗聖典を読んでいたとき、耳の後ろの方でいきなりサーチライトのような激しい光量の光が発生して、部屋を一瞬真っ白にした。驚いて後ろを振り向くと、そこに金色の薄い金箔を中空にはりつけたように、仏の顔が浮かんだのだ。

 一瞬、「とんでもないものを見た」と思った。すぐ幻覚だと分かったが、私にはこれがとても嬉しくて、ひょっとしたら仏という存在者がいて、こんな惨めな私の生涯を見守ってくれているのではないか、という気がしたのだった。

 その頃には、師と呼べる先生に出会って聞法していたが、わからない、わからない、何がわからないのかもわからない、とつぶやくような毎日だったように思う。先生は「急ぐな」というが、私にはまったく余裕がない。わからないのは、わかろうとするからではないかとも思い、念仏に集中して、どこでも念仏していたが、やがて、捨てきれない自分というものの輪郭のようなものが見えだした。

 しかし、捨てたらどうなるという「あて」もないので、ずっと躊躇したままだった。自分という思いを手放したら、人格が崩壊して、虚無に落ち、廃人になってしまうのではないか、そんな恐怖感が出てくるのだ。

 実は、このリーンと静まり返った無機質な暗闇の世界、異常に神経が尖鋭となった孤独の時間を学生の頃にも経験していて、ここで退いては、また人生の真実に出会えないのではないかと、深刻な二者選択を迫られた。念仏にすがっておのれを捨てるか、それとも卑怯者よろしく、また逃げ出すか。挫折の苦しみから逃れる気持ちから始めた聞法だったが、さらに苦しいところへ追い込まれてしまった。

 しかし、そんな生活のなかでも、ほっとすることもあった。ある朝、何かウキウキするような胸騒ぎで眼が覚め、何か変だなと思いながらアパートを出ると、木々が、空が、家並みがみな嬉しそうに微笑んでいるのだった。こんな経験も初めてだったので、強く印象に残った。1月の寒い日だったが、春のような柔らかさに満ちていた。それから間もなくして、仏の心を感じる大きな転換に出会う。


5 わたしの信体験

 ざらざらと砂っぽい東京の1月、例によって、大した仕事もない事務所へ向かう途中、うつむいて緩い坂を歩いていて「ああ、ここは以前、商品開発が入っていたビルだ」と思った瞬間、私の意識の流れを突然遮って、いきなり一枚の絵が意識に割り込んできた。一瞬、時間が止まったと思う。

 広い荒涼とした原野に、後方に屹立する岩山を背に、ひざまずいて一心に祈っている私の姿を見たのだ。その瞬間、カランと乾いた音がして「あっ」と思った。「見た、見た」と。何を見たか、宇宙の果て遠くから、いや「あちら」から私を見ている眼、私を見る視線を見たのだ。解説的にいうと、「仏が見る私の姿」を、はっきりと見せてもらったという感じだろうか。

 「わたしはこうしてお前をいつも見ているのだよ」と、仏が直に私に語りかけたのだと思った。まぎれもない「仏の眼」を見せられるとともに、それを与えた「仏の心」を感じた。いきなり「あちら」からの大きな力に襲われ、永遠を垣間見たような、劇的な経験であった。肩の荷が下りたように身が軽くなり、身体を覆う喜びに支配された。

 こんな感じが1ヵ月くらいは続いただろうか。しかし、そんな喜びも2カ月もするとなくなり、何があったのかというような感じで、やがて、あれは何だったのか、という不審が頭をもたげてきた。再び念仏が始まった。あの感じを忘れないようにと願って念仏したが、1年くらいはまったく駄目で、また振り出しに戻ってしまったような不安に支配されるようになった・・・・。


 6 信心の智慧

 仏とは何か、私は納得のいく説明ができただろうか。私の場合、仕事での挫折と部下を裏切った自責の気持ちが自分への信頼感を崩壊させ、自分への執着心を断ち切る準備となったのだろうと思う。執着を切り捨て切り捨てするうちに自分の心に執着する太い絆に切れ目が生じ、その綱の切れる瞬間に仏の心が現前するのだと考えている。

 いつもわいてくる感情や想念に粘っこくとりつく執着心が一度破れると、わきあがる思い、感情や想念を自分だと思う根本的な誤り(無明)に気づく。この根本的な転換(覚醒)によって人は初めて本当の信仰に入るが、この転換について述べたつもりだ。

 「こちら」から見る人間のものの見方が転換されて、「あちら」から見る「ものの見え方」(真宗では信心の智慧というが)がだんだんと身についてくるその後の4年間であったが、人間的な悩みがなくなったわけでも、ものに動じない強い精神力が確立したわけもない。むしろこの身のもつ煩悩の底知れぬ深さと、口にするのも恥ずかしい醜さにゾッとする生活である。

 煩悩が見えてくるとよけい煩悩をなくそうとする執着が強くなってくるが、この執着が一番しつっこいのかも知れない。しかも煩悩のままにとはなかなかいかないもので、そんなときは知らずに念仏を称えていることが多い。


 7 あとがき

 仕事での挫折を契機に聞法の生活に入り、ようやく5年が過ぎた。生涯でもっとも長い5年だった。それでも近頃、信仰の生活にも一つの区切りがついてきたようなかんじがして、新たな仕事に挑戦する決心をした。このような文章を書こうと思ったのもそのためである。

 信心は私を再び社会へと押し出してくれたが、仏の心がだんだん身になじんできて、身にそう仏の心とともに人生を歩んでいる。(終わり)



(付記)以上は、わたしが42才のときに、櫛谷宗則師が責任編集する『共に育つ』第6号(1996年2月10日発行)に掲載させていただいた文章で、36才のときのわたしの宗教体験を述べたものです。善及



by zenkyu3 | 2018-04-08 21:12 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

仏の心に出会うまで(3)

 5 わたしの信体験

 ざらざらと砂っぽい東京の1月、例によって、大した仕事もない事務所へ向かう途中、うつむいて緩い坂を歩いていて「ああ、ここは以前、商品開発が入っていたビルだ」と思った瞬間、私の意識の流れを突然遮って、いきなり一枚の絵が意識に割り込んできた。一瞬、時間が止まったと思う。

 広い荒涼とした原野に、後方に屹立する岩山を背に、ひざまずいて一心に祈っている私の姿を見たのだ。その瞬間、カランと乾いた音がして「あっ」と思った。「見た、見た」と。何を見たか、宇宙の果て遠くから、いや「あちら」から私を見ている眼、私を見る視線を見たのだ。解説的にいうと、「仏が見る私の姿」を、はっきりと見せてもらったという感じだろうか。

 「わたしはこうしてお前をいつも見ているのだよ」と、仏が直に私に語りかけたのだと思った。まぎれもない「仏の眼」を見せられるとともに、それを与えた「仏の心」を感じた。いきなり「あちら」からの大きな力に襲われ、永遠を垣間見たような、劇的な経験であった。肩の荷が下りたように身が軽くなり、身体を覆う喜びに支配された。

 こんな感じが1ヵ月くらいは続いただろうか。しかし、そんな喜びも2カ月もするとなくなり、何があったのかというような感じで、やがて、あれは何だったのか、という不審が頭をもたげてきた。再び念仏が始まった。あの感じを忘れないようにと願って念仏したが、1年くらいはまったく駄目で、また振り出しに戻ってしまったような不安に支配されるようになった・・・・。


 6 信心の智慧

 仏とは何か、私は納得のいく説明ができただろうか。私の場合、仕事での挫折と部下を裏切った自責の気持ちが自分への信頼感を崩壊させ、自分への執着心を断ち切る準備となったのだろうと思う。執着を切り捨て切り捨てするうちに自分の心に執着する太い絆に切れ目が生じ、その綱の切れる瞬間に仏の心が現前するのだと考えている。

 いつもわいてくる感情や想念に粘っこくとりつく執着心が一度破れると、わきあがる思い、感情や想念を自分だと思う根本的な誤り(無明)に気づく。この根本的な転換(覚醒)によって人は初めて本当の信仰に入るが、この転換について述べたつもりだ。

 「こちら」から見る人間のものの見方が転換されて、「あちら」から見る「ものの見え方」(真宗では信心の智慧というが)がだんだんと身についてくるその後の4年間であったが、人間的な悩みがなくなったわけでも、ものに動じない強い精神力が確立したわけもない。むしろこの身のもつ煩悩の底知れぬ深さと、口にするのも恥ずかしい醜さにゾッとする生活である。

 煩悩が見えてくるとよけい煩悩をなくそうとする執着が強くなってくるが、この執着が一番しつっこいのかも知れない。しかも煩悩のままにとはなかなかいかないもので、そんなときは知らずに念仏を称えていることが多い。


 7 あとがき

 仕事での挫折を契機に聞法の生活に入り、ようやく5年が過ぎた。生涯でもっとも長い5年だった。それでも近頃、信仰の生活にも一つの区切りがついてきたようなかんじがして、新たな仕事に挑戦する決心をした。このような文章を書こうと思ったのもそのためである。

 信心は私を再び社会へと押し出してくれたが、仏の心がだんだん身になじんできて、身にそう仏の心とともに人生を歩んでいる。(終わり)


by zenkyu3 | 2018-04-08 20:14 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

仏の心に出会うまで(2)

 3 仕事での挫折

 ちょうど5年前、私は自分の企画で始めた新規事業に失敗して、いや自ら放棄して、親身に育ててきた部下も捨て出奔してしまった。やがて家には戻ったが何をする勇気もなく、ただ仕事を貫徹できない非力さと部下を裏切った卑怯者という烙印を背にして、会社へ行っても何もすることのない日々を3ヵ月程過ごしていた。

 道ばたの小石にすら卑怯者と見下げられているような恥ずかしさの中で息をしていた。最低の人間だった。そんなときに書店で見つけたのが『わが名を称えよ』という本で、これが心に響いて、誰もいない事務所で毎日仕事のように読んでいた。

 やがて札幌を離れ東京での単身赴任が始まり、真宗会館で聞法するようになったが、後生願いの年寄りむけの話ばかりで、ちっとも好きになれなかった。もうここで「人生が何なのか」が分からなかったら俺の人生も終わりだと、思い詰めて過ごす悲惨な毎日だったものの、幸い仕事は窓際で、アパートでは単身だったので読書はふんだんにできた。

 念仏も口真似で称えたが、何の意味があって称えるのかと疑ってする念仏だった。しかし、ともかくも、仏のことしか考えていなかった。そんな中、聞法を始めて4ヵ月ほどたった頃、ある経験をした。


 4 聞法の生活

 例によって、単身生活のアパートで真宗聖典を読んでいたとき、耳の後ろの方でいきなりサーチライトのような激しい光量の光が発生して、部屋を一瞬真っ白にした。驚いて後ろを振り向くと、そこに金色の薄い金箔を中空にはりつけたように、仏の顔が浮かんだのだ。

 一瞬、「とんでもないものを見た」と思った。すぐ幻覚だと分かったが、私にはこれがとても嬉しくて、ひょっとしたら仏という存在者がいて、こんな惨めな私の生涯を見守ってくれているのではないか、という気がしたのだった。

 その頃には、師と呼べる先生に出会って聞法していたが、わからない、わからない、何がわからないのかもわからない、とつぶやくような毎日だったように思う。先生は「急ぐな」というが、私にはまったく余裕がない。わからないのは、わかろうとするからではないかとも思い、念仏に集中して、どこでも念仏していたが、やがて、捨てきれない自分というものの輪郭のようなものが見えだした。

 しかし、捨てたらどうなるという「あて」もないので、ずっと躊躇したままだった。自分という思いを手放したら、人格が崩壊して、虚無に落ち、廃人になってしまうのではないか、そんな恐怖感が出てくるのだ。

 実は、このリーンと静まり返った無機質な暗闇の世界、異常に神経が尖鋭となった孤独の時間を学生の頃にも経験していて、ここで退いては、また人生の真実に出会えないのではないかと、深刻な二者選択を迫られた。念仏にすがっておのれを捨てるか、それとも卑怯者よろしく、また逃げ出すか。挫折の苦しみから逃れる気持ちから始めた聞法だったが、さらに苦しいところへ追い込まれてしまった。

 しかし、そんな生活のなかでも、ほっとすることもあった。ある朝、何かウキウキするような胸騒ぎで眼が覚め、何か変だなと思いながらアパートを出ると、木々が、空が、家並みがみな嬉しそうに微笑んでいるのだった。こんな経験も初めてだったので、強く印象に残った。1月の寒い日だったが、春のような柔らかさに満ちていた。それから間もなくして、仏の心を感じる大きな転換に出会う。(続く)


by zenkyu3 | 2018-04-07 20:10 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

仏の心に出会うまで(1)

仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉からの再掲載です。


  一向専修のひとにおいては
  廻心といふことただひとたびあるべし。
  その廻心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、
  弥陀の智慧をたまわりて、
  日ごろのこころにては往生かなふべからずとおもひて、
  もとのこころをひきかへて本願をたのみまゐらするをこそ
  廻心とはもうしそうらへ。

  (異義条々・第六条)

 信仰にはある転回点となる体験があります。
 そのことを唯円は「廻心といふことただひとたびあるべし」と述べています。
 以下は、わたしが42才のときに、櫛谷宗則師が責任編集する『共に育つ』第6号
 (1996年2月10日発行)に掲載させていただいた文章で、
 36才のときのわたしの宗教体験を述べたものです。
 体験を整理して文章にできるまでに五年もかかっています。
 紙数が限られていたため、かなり整理されすぎている嫌いはありますが、
 「弥陀の智慧」をたまわるところの廻心体験がどのようなものなのか、
 真剣に聞法する若い人たちの参考になることを願っています。
 読みやすくするために見出しをつけた以外は原文のままです。
 わたしにとっては記念の原稿です。

 
  2010.9.29
  全休



 仏の心に出会うまで


 1 はじめに

 わたしは自分の人生にたいへん満足している。といって、金があるわけでも女房がとくに美人だからというわけでもない。仏法に出会えたこと、すなわち人間世界を超えた真実が確かにあったことを知った人生だからだ。求めるべき人生最高の宝を手にした喜びといっていい。

 たまたま私は念仏の教えによって真実を知る経験を持ったが、もともと家庭が門徒であったわけでも、人に勧められて念仏を始めたわけでもない。私が念仏に出会えたのも学生時代に抱えたテーマ、誰もが一度は通る、そして、皆が素通りしてしまう「何のために生きるのか」というテーマを青臭い学生よろしく後生大事に引きずってきたからだろうということになる。

 2 永遠の命

 さて、これから述べようとしているのは一般に廻心と呼ばれている経験のことで、親鸞さんは信心獲得といっているが、何かのきっかけで人間の心がつくっている世界を心そのものが超え出てしまって、人間の心が根本的に転換してしまう事態をいっているのだろうと私は考えている。

 心がつくった世界そのものを超えることだから、どんなに頭で観念をこらしたり心を純化しても超え出ることの不可能な道、むこうからの一方通行の道である。そのような人間世界と隔絶した絶対世界がどのようにして、今生、この有限の身に現前するのか。

 わたしたちは通常「こちら」から「あちら」、むこうにある対象をこちらから見るという「ものの見方」をしているが、私たちが日常的に経験するこの世界を超え出る体験をするとき、不思議なことに「あちら」から「こちら」の世界を見るような「ものの見え方」を獲得する。

 そうすると、こちらの世界、つまり私たちの棲むこの世界が実は客観的に実在する世界ではなくて、私たち人間の心がつくっている仮構の世界だということがわかってくる。するといつも自分の心にわきあがってくる感情や想念への執着心が相対化されて、絶え間なくわきあがる思いに拘束されにくくなる。

 この「ものの見え方」を初めて獲得する経験を廻心といい、この「ものの見え方」を可能にする不思議な働きこそ、釈尊をはじめ多くの人たちを目覚まし続けてきた永遠の命であった。

 この「ものの見え方」がさらに純化されてくると、人間及び自分の心のあさましさが余計にはっきりしてきて、精神生活の中に自ずと懺悔を生じる。ただし、懺悔はエゴを補強するような人間的な知恵による自己反省とは本質的に違うから、必ずしも自己改善を要求しない。

 とはいっても、あさましい姿を見ればそのままでいいとは思えないものだから、なにやら自然と修行者らしくなって人生を歩まされていくのはこのためである。その「ものの見え方」を与え施すことで迷いの事実に目覚ませ救おうとする永遠の働き、それを仏とも本願ともいうのだと私は考えている。それでは、私が信心を獲得するに到った経緯を次に述べる。(続く)


by zenkyu3 | 2018-04-06 20:08 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

カテゴリ:御文を読む

第一帖
第一通「ある人いわく」
第二通「出家発心」
第十三通「三経安心」

第二帖
第一通「御浚え」
第十一通「五重の義」

第三帖
第四通「大聖世尊」
第十二通「宿善有無」

第四帖
第一通「念仏行者」
第九通「疫癘」
第十五通「大坂建立」

第五帖
第一通「末代無智」
第二通「八万の法蔵」
第五通「信心獲得」
第六通「一念に弥陀」
第七通「それ女人の身は」
第九通「安心の一義」
第十通「聖人一流」
第十一通「御正忌」
第十二通「御袖すがり」
第十三通「六字名号」
第十五通「それ弥陀如来」
第十六通「白骨」


by zenkyu3 | 2018-03-18 06:00 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

1条「弥陀をたのむ一念のおこるとき」
2条「南無というは帰命なり」
3条「御たすけそうらえとたのむとき」
7条「発願回向のこころを感ずるなり」
8条「ききわけて、え信ぜぬもののことなり」
11条「他力の安心をしかと決定なくは」
13条「教化するひと」
14条「うれしさに念仏もうすばかりなり」
17条「ときどき懈怠することあるとも」
18条「滅度のさとりのかたは」
20条「安心をとりて、ものをいわば、よし」
30条「一念の信心をえてのちの相続というは」
35条「はかろうて念仏もうすは」
36条「無生の生とは」
37条「回向というは」
38条「つみの沙汰、無益なり」
40条「機のあつかいをするは雑修なり」
46条「信心に御なぐさみ候う」
47条「これまでと存知たることなし」
50条「聴かば、かどをきけ」
54条「わがこころにまかせず、たしなめ」
55条「信をうる機、まれなり」
56条「仏法のことにとりなせ」
58条「われはわろきとおもうもの」
64条「衆生をしつらいたまう」
68条「覚如様御歌」
73条「堺の日向屋は、三十万貫持ちたれども」
81条「「仏法には無我」と、仰せられ候う」
82条「しれるところをとえば徳分ある」
84条「冥加をおそろしく存ずべき」
100条「かりに、果後の方便によりて」
103条「よろずに付きて、油断あるまじきこと」
106条「時節到来と云うこと」
109条「善知識の御ことを、おろそかに存じ候う」
110条「木の皮をきるいろめなりとも」
128条「法には、あらめなるがわろし」
136条「人の身には、眼耳鼻舌身意の六賊ありて」
141条「仏法は内心に深く蓄えよ」
152条「輒くおこしがたき信なれども」
154条「同行のまえにては、よろこぶなり」
155条「仏法には、世間のひまを闕きてきくべし」
157条「仏法をあるじとし」
160条「人にまけて信をとるべきなり」
161条「如来の仏心と一つになしたまうが故に」
175条「ただ人は、みな、耳なれ雀なり」
176条「信をとらんと、思う人なきなり」
183条「安心の一通りを申され候えば」
186条「信をとらぬによりて、わろきぞ」
188条「たのむ一念の所、肝要なり」
193条「仏法は、聴聞にきわまることなり」
195条「わがみのわろき事は」
204条「これ、不退の密益なり」
206条「冥加に叶うと云うは」
210条「信治定の人は、誰によらず」
213条「心得たと思うは、心得ぬなり」
225条「仏恩を嗜む」
228条「人の、辛労もせで徳とる上品は」
229条「わが心、本になるによりて」
233条「物にあくことはあれども」
239条「南無阿弥陀仏の主になるなり」
244条「思案の頂上と申すべきは」
250条「心に偽りあらじと、嗜む人は」
276条「ただ「聖人」と直に申せば」
279条「今生の事を心に入るるほど」
298条「悪事だに思い付きたるは」
300条「かなしきにも、かなわぬにつけても」

(2017.7.30~)


by zenkyu3 | 2018-03-12 06:02 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)