2017年 03月 09日
竹内先生の「水練の譬え」
自然というは、もとよりしからしむということばなり。
弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、
南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、
行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききてそうろう。
ちかいのようは、無上仏にならしめんとちかいたまえるなり。
(自然法爾章)
例えば、浮力。人の体は水に浮くようになっている。浮力を利用して泳ぐ。泳げない人は浮くことは知っていても浮くコツがわからない。溺れまいともがいてかえって沈んでいく。浮力とは本願力の譬えです。溺れまいともがくのが自力、水に身を任すのが他力、一度浮くことを経験すれば、あとは自力でどこまでも泳いでいける。竹内先生から何度もお聞きした話です。
心を善し悪しで分別してコントロールしようというのが自力で、コントロールをやめるのが他力です。心を手放しするなんて恐ろしくてできないというのでしょう。だから他力になれない。心をコントロールしているつもりでしょうが、実は、あなたは完全に心にコントロールされている。子を溺愛して子に振り回されている親のようだ。心を捨てる。すると、あなたは心から自由になれる。今までは心に使われていたが、今度は心を使うことができるようになる。
南無阿弥陀仏
2016年 12月 26日
念仏の歴史
教えというものは、やはり目覚めた人を通して、この世の中に生きてくる。
そうして、目覚めた人があって、
その目覚めた方が「自分はこうやって目覚めた」とおっしゃることによって、
我々も、自分自身の身の事実を知らされ、
そして「真実はなにか」ということに目覚めていくことができるんだ。
(竹内維茂著「称名念仏の大悲」より)
わたしは善知識となれる方を探していた。やがて、遇うべくして竹内先生にお遇いした。念仏は現代にも脈々と生きており、本の中だけでしか知らなかった念仏だが、生きた仏として先生が目の前で説法されていた。自然と手が合わさる。わたしにとって竹内先生は生きてそこにおられる仏だった。一方で、最近、とくにそう思うようになったが、竹内先生もまた、わたしを待っていただろうと。先生はすぐにわたしに気づいた。気づくだろか、いつ気づくだろかと思っていたが、すぐに気づいてくださった。初めて先生のご自宅を訪ねたのは三十六になったばかりの十月だった。
南無阿弥陀仏
2016年 12月 07日
翻迷と蘇生
本願を信受するは、前念命終なり。
「すなわち正定聚の数に入る」(論註)。
即得往生は、後念即生なり。
(愚禿鈔)
「前念命終」を「翻迷」と言いたい。
「後念即生」を「蘇生」と言いたい。
「蘇生」(生に蘇る)の「生」とは何か。それは、
「如来から与えられた行を生きている」ってことです。
如来から与えられた行は私の行と同じものなんだけれども、
しかし、その行をいつも今、貰うわけです。
そこに、いつも、真実の仏になるべき因を与えてくださって、私を翻していく。
その翻していくのは私にはできぬことです。
そのできぬことを、そのまま如来から回向された。
浄土に生まれるべき因と縁になっていく。有り難いことじゃないですか。
自分に今生でできる行が、今、浄土に生まるべき行、浄土の行になっていく。
それを私は「無生の生」と言ってもいいと思う。
「無生の生」の「無生」は生滅を超えていますから、「翻迷」ということ。
「無生の生」の「生」というのは、往生ですから、
「そこに生まれる」「蘇生」ということです。
野田明薫の言葉で言えば、
迷いの世界から仏の世界に「戸籍が変わる」ということがある。
(竹内維茂著「称名念仏の大悲」より)
竹内先生のお名前は「仏からの道」(彌生書房 1984年)を読んで知っていましたから、練馬の真宗会館の案内に先生のお名前を見つけたのを縁にご自宅を訪ねたのは平成元年の十月でした。当時のわたしは単身赴任で東京に出ていて、たいした仕事もないことをいいことに東京の各所の聞法会に参加していました。
師となれる人を探していたのです。そのまま先生の所で聞法生活が始まり、先生が亡くなる平成九年四月までの七年半、ご指導を受けました。「翻迷と蘇生」と題されたこの講話は先生が亡くなる前の月の彼岸会法要の時のものです。
南無阿弥陀仏
2016年 12月 06日
死の事実
「私自身では、私自身の一番根本の解決ができない」っていう智慧ですね。
「たのむ」という言葉を極めて具体的に使われたのは、蓮如上人です。
『改悔文』にはこう言っています。
もろもろの雑行・雑修、自力のこころをふりすてて、
一心に「阿弥陀如来、我等が今度の一大事の後生御たすけそうらえ」と
たのみもうしてそうろう。
たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定とぞんじ
このうえの称名は、御恩報謝とよろこびもうし候う。
つまり、「たのむ」ってことは「今度の一大事の後生御たすけそうらえ」と、たのむってこと。
「後生」というのは何かといえば、「死を含めた死後」と言いますか、そういうことなんです。
だから、私たちの分別知では全く分からない。
私自身のことでありながら、私が決して体験できない。しかし、私の事実なんです。
その「死の事実」、もっと深く言えば、「人間として生きている」というその事実です。
(竹内維茂著「称名念仏の大悲」彌生書房 1998年)
竹内先生は「死の事実」に立てと説くのが常でした。「生」の立場が絶対に超えられないのが「死の事実」で、死の前では誰もが己自身の無力を知らされる。知らされるが、死を前にして気づいても遅い。己自身の無力を知って初めて、わたしたちは「たのむ」ということをするが、「たのむ」ところまでたどり着く人がいないということでしょう。
竹内先生が「死の事実に立て」と言う時の「死」とは、「一度死んで新しい命に生まれ変わって来い」ということなのでしょう。そもそも肉体は物質で物質に死はない。死という時は心の問題です。肉体の奴隷になって心が主体性を失っているから、肉体が滅ぶと心も死ぬと恐れるのです。しかし、死なない心があると知れば、それが信心ということです。先生はこのようなことを教えておられる。
南無阿弥陀仏
2016年 11月 18日
未来は明るいか
死の事実というのは、自分自身の最も根源の事実であって、
体験も出来なければ、経験することも出来ない。
「私は死んだ」という言葉は決してどんな人間にも吐けない事実なのです。
しかし、その死の事実においては、偽り諂いということは一切通らないのです。
自分を弁護することも、自分を正当化することも、
自分の言い訳や粉飾も一切成り立たない。そういう事実がある。
これが根源にある事実なのです。
(平成元年九月三日・第一例会の法話より)
竹内先生はお弟子たちに「死の事実に立て」とよく言われた。高齢者を前にしても「死」という言葉を使うことに躊躇はない。「人は必ず死ぬから」などという軽い言葉ではない。死の事実から目をそむけるなというのです。あなたが生きる支えにしているもの、それがたとえなんであれ、すべてを無意味にするのが「死の事実」です。
現に、死を前にした人に慰めの言葉はない。未来がないからです。未来がないから「死」という。だから、竹内先生は「未来は明るいか」ともよく言われた。未来が確かでないから、あなたの現在は暗い。暗いけれども闇の中にいるから、闇の中とも気づかない。闇とも気づかないから闇というと、これも竹内先生が教えてくれたことです。
南無阿弥陀仏