カテゴリ:三帖和讃のこころ( 36 )

若不生者のちかいゆえ

 若不生者のちかいゆえ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ

 (讃弥陀偈讃-24)

 『御消息集』に云わく、「光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。居すというは、浄土に、信心の人のこころ、つねにいたりというこころなり。これは弥勒とおなじくということを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心の人は如来とひとしと申すこころなり」と。如来とひとしとは、人として至るべきところに至った。人としてお聞きすべきことはお聞きした。人として死んでいける。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-18 05:41 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

十方諸有の衆生は

 十方諸有の衆生は
 阿弥陀至徳の御名をきき
 真実信心いたりなば
 おおきに所聞を慶喜せん

 (讃弥陀偈讃-23)

 親鸞は「慶喜」に「シンヲエテノチニヨロコブトナリ」と左訓している。執着するから捨てられない。捨てられないから苦しむ。捨てられれば楽だが、捨てられるくらいなら執着とはいわない。執着するものは人によって違うが、自分の心を喜ばせたい、満足させたいというのでしょう。仏教では「我執」という。心を心に縛りつけていた執着の綱を切ってくださるので「真実信心いたりなば」といい、心が心から解脱して自由になるので「慶喜」という。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-17 05:39 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

安楽国をねがうひと

 安楽国をねがうひと
 正定聚にこそ住すなれ
 邪定不定聚くにになし
 諸仏讃嘆したまえり

 (讃弥陀偈讃-22)

 親鸞は「邪定不定聚」に以下のように左訓している。すなわち「邪定は万行万善自力の往生、観経の説。不定聚は阿弥陀経の心。経は不可思議なれども、われら自力に修行する間、不定聚と説く」と。自力は自分の心を信仰している。自分の心に深く執着しているから自力という。自力は自分の心が価値あることを証明しなければならない。だから、自力は観念的な理想に向けて努力し、達成度をいつも自己評価している。それを「自力に修行する」という。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-07-16 05:35 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

顔容端正たぐいなし

 顔容端正たぐいなし
 精微妙躯非人天
 虚無之身無極体
 平等力を帰命せよ
 
 (讃弥陀偈讃-21)

 『無量寿経』に云わく、「そのもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして、神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。但し余方に因順するがゆえに、天・人の名あり。顔貌端正にして、世に超えて希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。みな、自然虚無の身、無極の体を受けたり」と。有相をもって無相を説く浄土の方便ですが、如虚空はなにもないということではなく、あらゆる形をとって障りがないから如虚空という。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-15 06:01 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

安楽声聞菩薩衆

 安楽声聞菩薩衆
 人天智慧ほがらかに
 身相荘厳みなおなじ
 他方に順じて名をつらぬ
 
 (讃弥陀偈讃-20)

 親鸞は「順じて」に左訓して「シタガイテ、ニンアリ、テンアリトイフ」と教えている。「他方」とは娑婆世界のことです。色も形もない不可思議の世界を示すのに声聞、菩薩、人間、天人といった形をもって荘厳する。形をもって形なき世界を示そうというのが浄土の三種荘厳の方便です。なぜ、浄土の三種荘厳が説かれるかといえば、思議を超えた不可思議の領域に触れさせて智慧を生じさせたいというのが釈迦如来の善巧方便だからです。

 南無阿弥陀仏




by zenkyu3 | 2018-07-14 06:11 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

神力自在なることは

 神力自在なることは
 測量すべきことぞなき
 不思議の徳をあつめたり
 無上尊を帰命せよ
 
 (讃弥陀偈讃-19)

 『讃阿弥陀仏偈』に云わく、「安楽の菩薩は仏の神を承うけて、 一念のあひだに十方に詣る。算数すべからざる仏世界にして、 もろもろの如来を恭敬し供養したてまつる」と。智慧を得ると智慧の人に遇うことができる。それが「もろもろの如来を恭敬し供養し」ということです。智慧がなければ毎日会っていても遇わない。諸仏、善知識に遇わせていただくのも、法を聞くことが楽しいのも、念仏が出るのも「不思議の徳をあつめたり」、すべて智慧の働きです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-13 05:16 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

安楽浄土にいたるひと

 安楽浄土にいたるひと
 五濁悪世にかえりては
 釈迦牟尼仏のごとくにて
 利益衆生はきわもなし
 
 (讃弥陀偈讃-18)

 『正像末和讃』に云わく、「如来の回向に帰入して/願作仏心をうるひとは/自力の回向をすてはてて/利益有情はきわもなし」と。この和讃をいただくと「利益衆生」は現生にもあるかに窺えます。智慧がはっきりしていくのが仏のお育てなら、有縁の衆生の迷いの姿を観察しながら智慧を伝える方便力を蓄えていくのも仏のお育てなのでしょう。智慧が働きだすと「願作仏心」が起き、智慧がはっきりしてくると願作仏心は「度衆生心」と現れてくださる。
 
 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-12 06:13 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

観音勢至もろともに

 観音勢至もろともに
 慈光世界を照曜し
 有縁を度してしばらくも
 休息あることなかりけり
 
 (讃弥陀偈讃-17)

 『高僧和讃』に云わく、「阿弥陀如来化してこそ/本師源空としめしけれ/化縁すでにつきぬれば/浄土にかえりたまいにき」と。勢至は智慧、観音は慈悲の働きを象徴している。智慧と慈悲の働きは「仏性」として一切の衆生に内在しているが、ぶ厚い煩悩に覆われて働きが失われてしまっている。その仏性に働きかけて、智慧と慈悲の働きが働きだすように教化してくださっているのが釈迦如来であり、この世に現れる諸仏、有名無名の善知識の方々です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-11 05:50 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

十方衆生のためにとて

 十方衆生のためにとて
 如来の法蔵あつめてぞ
 本願弘誓に帰せしむる
 大心海を帰命せよ
 
 (讃弥陀偈讃-16)

 『浄土和讃』に云わく、「信心よろこぶそのひとを/如来とひとしとときたまう/大信心は仏性なり/仏性すなわち如来なり」と。智慧の働きを「仏性」という。心の闇を見えるようにしてくださるから智慧を光という。光があるから目が見る。だから、自分の心が見えたら、それが光に遇ったことです。智慧の働きは仏性として一切衆生に内在しているので、智慧を自覚すれば仏になる。今は、ぶ厚い煩悩に覆われてはいるが、聴聞するうちに仏性が輝き出る。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-07-10 06:06 | 三帖和讃のこころ | Comments(2)

安楽無量の大菩薩

 安楽無量の大菩薩
 一生補処にいたるなり
 普賢の徳に帰してこそ
 穢国にかならず化するなれ
 
 (讃弥陀偈讃-15)

 親鸞は「普賢の徳」に左訓して「われら衆生、極楽にまいりなば、大慈大悲を起こして、十方に至りて衆生利益するなり。仏の至極の慈悲を普賢ともうすなり」と示している。仏から智慧をいただいて仏への道を歩む。これを往相という。智慧が完成して仏となれば神通方便を得て自在に衆生に智慧を与える。これを還相という。法義上、還相は現在とは言えないが、智慧を伝えて衆生利益したい慈悲心は智慧をいただいたときに仏から一緒にいただいている。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-07-09 06:13 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)