カテゴリ:三帖和讃のこころ( 48 )

仏慧功徳をほめしめて

(このシリーズは今日で終わりです)

 仏慧功徳をほめしめて
 十方の有縁にきかしめん
 信心すでにえんひとは
 つねに仏恩報ずべし

 (讃弥陀偈讃-48)

 『浄土論』に云わく、「何等の世界にか、仏法功徳の宝ましまさぬ。我願わくは、みな往生して、仏法を示すこと仏のごとくせん」と。竹内先生は「いつも心境が新しく開けてくる」と、仏さまのお育てを喜んでおられましたが、お気持ちがわかるようになりました。熱心に読んでくださる読者の皆さんがいてこそ、こうしてブログが続いています。聞き手が成長すれば話し手の話しも変わっていくでしょう。頂いた信心を皆さんに手渡したいと願っている。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-08-11 05:48 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

信心歓喜慶所聞

 信心歓喜慶所聞
 乃曁一念至心者
 南無不可思議光仏
 頭面に礼したてまつれ

 (讃弥陀偈讃-47)

 『本願成就文』に云わく、「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。心を至し回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住す」と。仏のお心の中に自分を見いだす。この経験が信心です。自分の心しか知らなかった者が自分の心ではない心を知る。自分の心は体の機能だから体の死とともに消える。限りある命に限りなき命をいただいてこそ、限りある命に満足して死んで行けるのでしょう。

 南無阿弥陀仏




by zenkyu3 | 2018-08-10 05:33 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

弥陀の浄土に帰しぬれば

 弥陀の浄土に帰しぬれば
 すなわち諸仏に帰するなり
 一心をもちて一仏を
 ほむるは無碍人をほむるなり

 (讃弥陀偈讃-46)

 『論註』に云わく、「道は無碍道なり。『経』(華厳経)に言わく、「十方無碍人、一道より生死を出でたまえり」。一道は一無碍道なり。無碍は、いわく、生死すなわちこれ涅槃なりと知るなり」と。すべては因縁生起であるから実体がない。生まれたように見えて生まれたものがなく、死んだように見えて死んだものがない。生死に一切の障りがないので「生死即涅槃」という。こう知る人は執着するものはなにもないから「無碍人」と讃えられる。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-09 05:44 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

十方三世の無量慧

 十方三世の無量慧
 おなじく一如に乗じてぞ
 二智円満道平等
 摂化随縁不思議なり

 (讃弥陀偈讃-45)

 親鸞は「二智円満道平等」に「二智はこの娑婆世界の智慧、仏道の智慧、みなさとりたまうこと平等なり」と左訓している。「二智」とは無分別智と後得智で、親鸞は無分別智のことを「仏道の智慧」といい、後得智を「娑婆世界の智慧」と示している。無分別智は執着なく、因縁無自性空と事実を見る。執着がないから事実に随順し心に争いがない。また、後得智とは衆生をよく観察し智慧を伝えるために工夫する方便智です。二智円満成就してみな仏になる。

 南無阿弥陀仏



by zenkyu3 | 2018-08-08 06:16 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

三塗苦難ながくとじ

 三塗苦難ながくとじ
 但有自然快楽音
 このゆえ安楽となづけたり
 無極尊を帰命せよ

 (讃弥陀偈讃-44)

 『無量寿経』に云わく、「清浄・離欲・寂滅・真実の義に随順し、三宝・力・無所畏・不共の法に随順し、通慧、菩薩・声聞所行の道に随順し、三塗苦難の名あることなし。但自然快楽の声あり。このゆえにその国を名づけて安楽と曰う」と。執着する心には不安と恐怖がある。求めて得られないから「三塗苦難」というが、智慧の光に照らされて、求めても得るものがないと知れば執着は落ちていく。無執着の心を「仏」といい、その境地を「安楽」という。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-08-07 05:52 | 三帖和讃のこころ | Comments(2)

七宝の宝池いさぎよく

 七宝の宝池いさぎよく
 八功徳水みちみてり
 無漏の依果不思議なり
 功徳蔵を帰命せよ

 (讃弥陀偈讃-43)

 『無量寿経』に云わく、「内外左右に、もろもろの浴池あり。あるいは十由旬、あるいは二十・三十、乃至、百千由旬なり。縦広、深浅、おのおのみな一等なり。八功徳の水、湛然として盈満せり。清浄香潔にして、味い甘露のごとし」と。すべては因縁生起であるから実体がない。生まれたように見えて生まれたものがなく、死んだように見えて死んだものがない。こう知るを「無生法認」という。因縁無自性空の智慧の光に照らされて煩悩が浄化されていく。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-06 05:13 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

相好ごとに百千の

 相好ごとに百千の
 ひかりを十方にはなちてぞ
 つねに妙法ときひろめ
 衆生を仏道にいらしむる

 (讃弥陀偈讃-42)

 『観無量寿経』に云わく、「無量寿仏に八万四千の相まします。一一の相に、おのおの八万四千の随形好あり。一一の好にまた八万四千の光明あり。一一の光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。その光明・相好および化仏、具に説くべからず」と。われらは頭が造った世界に住んでいる。頭の数だけ世界がある。その中に住む「わたし」も「人」も頭が造ったものだ。頭が造った世界に住んでいると知るから「遍く照らす」という。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-05 05:42 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

 一一のはなのなかよりは
 三十六百千億の
 仏身もひかりもひとしくて
 相好金山のごとくなり

 (讃弥陀偈讃-41)

 『讃阿弥陀仏偈』に云わく、「一々の華のなかより出だすところの光、 三十六百有千億なり。一々の華のなかに仏身あり。 多少また出だすところの光のごとし。仏身の相好金山のごとし。一々また百千の光を放ち、あまねく十方のために妙法を説き、 おのおの衆生を仏道に安ず。かくのごとき神力辺量なし。 ゆえにわれ阿弥陀を帰命したてまつる」と。思議ということも不可思議を知った上でのことです。不可思議を知るまでは思議の中とも知らずにいる。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-04 05:50 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

 一一のはなのなかよりは
 三十六百千億の
 光明てらしてほがらかに
 いたらぬところはさらになし

 (讃弥陀偈讃-40)

 『無量寿経』に云わく、「一一の華の中より三十六百千億の光を出だす。一一の光の中より三十六百千億の仏を出だす。身色紫金にして、相好殊特なり。一一の諸仏また百千の光明を放ちて、普く十方のために微妙の法を説きたまう。かくのごときの諸仏、各各無量の衆生を、仏の正道に安立せしめたまう」と。われらは頭が造った世界の中に住んでいる。その世界の中心が「わたし」です。太陽が地球を照らすように智慧の光は「わたし」の世界を照らす。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-03 05:44 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)

清風宝樹をふくときは

 清風宝樹をふくときは
 いつつの音声いだしつつ
 宮商和して自然なり
 清浄勲を礼すべし

 (讃弥陀偈讃-39)

 『唯信鈔文意』に云わく、「法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり」と。法身とは「智慧の働き」のことです。引力は目に見えないが万物に平等に働いている。智慧の働きも目に見えないが一切衆生に平等に働いている。智慧の働きは自覚した者には自明でも、経験したことのない者にそれを伝えるのは智慧の働きを経験する以上に難しい。難しいが、不思議にも浄土の方便を信じれば必ず智慧が生じる。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-02 05:24 | 三帖和讃のこころ | Comments(0)