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2019年 04月 24日 ( 1 )

わがこころのよくて

 これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし。

(歎異抄・第十三章 -47)

 われらは与えられてくる事実を生きている。事実を選ぶことは出来ず、生きている事実以外に「わたし」も「わたしの人生」もない。思いや感情という事実を起こしている「わたし」というものはなく、事実が起きてから「わたし」が起こしたと、後から「わたし」が出てくる。ここにトリックがある。「なにごともこころにまかせたることならば」、思いや感情を起こしたり起こさなかったり出来るはずであるが、現実にはそれは不可能だ。「わたし」という主体はないからです。それを親鸞は「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と示している。仏教の無我説です。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2019-04-24 05:04 | 歎異抄を読む | Comments(0)