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2019年 04月 23日 ( 1 )

悪人成仏のためなれば

 煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。

(歎異抄・第三章 -46)

 煩悩を「悪」といい、煩悩具足の凡夫を「悪人」という。「生死」とは自分の心のことで、不生不滅の仏心に触れると自分の心を離れるので「生死をはなれる」という。煩悩はそのままに、煩悩から離れて、煩悩から自由になることを「悪人成仏」と言うのです。「行」とは自分の心を仏にしようとする努力ですが、煩悩に騙されているから、煩悩は仏にはならないという当たり前のことがわからない。わからないから初めはみな自力の修業をする。自分の心を絶対にしたい。だから、煩悩は仏にはならないと諦めるまで努力は終わらない。よって、他力には「行」はない。捨てるのに努力はいらないからです。努力をやめる。これほど簡単なことはないが、簡単なことが一番難しい。努力をやめるとどうなるか。「煩悩具足の凡夫」という、至極あたり前の事実に落ち着く。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2019-04-23 05:34 | 歎異抄を読む | Comments(0)