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2019年 04月 11日 ( 1 )

 弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。

(歎異抄・第二章 -34)

 釈尊は「弥陀の本願まこと」を経験した。親鸞もまた釈尊と同じく「弥陀の本願まこと」を経験した。仏心が行者に臨んで仏心が自らを現したのです。個人の「さとり」などではない。仏心遭遇の経験を伝えてきたのが仏教の伝灯ですから、仏教といっても仏心を経験するかしないか、ただそれだけです。「釈尊の説教、虚言なるべからず」「法然のおおせまこと」と言えた親鸞は、すでに仏心に立っている。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-04-11 05:00 | 歎異抄を読む | Comments(0)