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2019年 04月 10日 ( 1 )

 露命わずかに枯草の身にかかりてそうろうほどにこそ、あいともなわしめたまうひとびとの御不審をもうけたまわり、聖人のおおせのそうらいしおもむきをも、もうしきかせまいらせそうらえども、閉眼ののちは、さこそしどけなきことどもにてそうらわんずらめ。

(歎異抄・後序 -33)

 結果として、高校生がもった疑問を引きずって生きてきた。それがわたしの人生になってしまった。生活と仕事はそれなりで、とくに思い出すこともない。そもそも生きる動機がそこにはなかった。人は死を前になにを思うのかは知らないが、わたしは『歎異抄』を読み続けてきたので、人生の整理のつもりで『歎異抄』の領解を書いている。理解されるかどうかはあまり関係がない。そもそも高校生のわたしが持った疑問は解決するようなものだったかどうか。「わたしは誰か」「死んでどこへ行くか」といった疑問に解決などあるのか。「わからなくても構わない」というのが結論では結論にもならないが、わからないことはわからないと済ましてもなにも問題はないように思う。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-04-10 05:29 | 歎異抄を読む | Comments(0)