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2019年 04月 09日 ( 1 )

 よきこころのおこるも、宿善のもよおすゆえなり。悪事のおもわれせらるるも、悪業のはからうゆえなり。故聖人のおおせには、「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいき。

(歎異抄・第十三章 -32)

 この身体は本能というプログラムで動く自動機械です。自由意思があるからといって本能を選ぶ自由まではないし、なくても構わない。生物としての本能と社会的な生き物としての本能とがあって、本能のままに生き、本能を満たすように生きている。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(第十三章)とあるように、この身体はあらゆる状況に自動的に対応するようにプログラムされている。その目的は生命の維持と再生産であり、社会的存在としては自己保身です。この身体は本能が命じないことはしないし、事実、みな本能のままに生きている。ただそれだけです。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-04-09 05:42 | 歎異抄を読む | Comments(0)