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2019年 04月 07日 ( 1 )

 一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。

(歎異抄・第十六章 -30)

 若い頃、自分より最低のものが一人でもいたら往生しないと教えられた。今も耳の底で響いている。ある時、竹内先生から「どうですか」と問われ、思いがけずも「最低のものです」という言葉が出てきた。竹内先生は「そうですか」と言ったまま通り過ぎていかれた。短い立ち話だが憶えている。智慧光は心の深層を絶えることなく照らし続ける。見えなかった心の内面が見えてくる。ますます助からないとわかる。見たくないのに見えるのだから「智慧のお育て」というのでしょう。

 南無阿弥陀仏  
by zenkyu3 | 2019-04-07 05:37 | 歎異抄を読む | Comments(0)