人気ブログランキング |

2019年 04月 05日 ( 1 )

一念発起するとき

 弥陀の光明にてらされまいらするゆえに、一念発起するとき、金剛の信心をたまわりぬれば、すでに定聚のくらいにおさめしめたまいて、命終すれば、もろもろの煩悩悪障を転じて、無生忍をさとらしめたまうなり。

(歎異抄・第十四章 -28)

 『十一願』に云わく、「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、定聚に住し必ず滅度に至らずんば、正覚を取らじ」と。信の一念に智慧が生じ、智慧のお育てをいただいている姿を「定聚に住し」という。正定聚はすでに仏位ですから、その先に智慧の完成としての「滅度」が定まっている。それが「必至滅度の願」です。また、第七章では正定聚のことを「無碍の一道」と示し、その精神生活の内容を「信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし」と教えている。天神地祇も魔界外道も「自分の心」のことで、自分の心の影響を受けないから「罪悪も業報も感ずることあたわず」という。どういうことかと言えば、信心の人は「摂取不捨の利益」(第一章)にて、いつも自分の心から護られているということです。

 南無阿弥陀仏 

by zenkyu3 | 2019-04-05 05:16 | 歎異抄を読む | Comments(0)