人気ブログランキング |

2019年 03月 31日 ( 1 )

 浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべき。

(歎異抄・第四章 -23)

 仏でもないただの凡夫がなにをもって人を救えると思うのか。われらは善知識に出遇って信心をいただいたという経験がある。しかし、善知識から信心をいただいた訳ではない。仏にお育ていただいている善知識の凡夫の姿に仏の働きを見た。仏を見て仏を信じたのであり善知識を信じたのではない。自力宗には聖者も指導者もいるが真宗には凡夫しかいない。親鸞が身をもってそれを示しておられる。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2019-03-31 05:38 | 歎異抄を読む | Comments(0)