2018年 10月 10日 ( 1 )

歎異抄・第七章(1)

 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々

(歎異抄・第七章)

 第一章の本願成就、信楽開発を仏道の入口とすれば、これから読む第七章、第八章、第九章は仏道の途中であり、第十章の「念仏には無義をもって義とす」は仏道の到達点です。この書の作者は『十地経』のように、悟りの階梯、信心の深化をたった五章で明らかにしてみせた。さて、現生不退について第一章(5)の記事にこう書いた。「煩悩を離れ煩悩を見る智慧を得たから、二度と煩悩とは一体化しない。煩悩から離れて、煩悩の影響を受けない心の生活を「悪をもおそるべからず」というのです。「悪をもおそるべからず」は現生不退の生活の内面、すなわち「摂取不捨の利益」です。ここに初めて、仏への道、無碍の一道が開けた」と。第一章・第三節を現生不退の総論とすれば、第七章、第八章、第九章は各論になる。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-10-10 05:12 | 歎異抄を読む | Comments(0)