2018年 10月 02日 ( 1 )

歎異抄・第三章(2)

 (2)煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

(歎異抄・第三章)

 『観経疏』に云わく。「二者深心」。「深心」と言うは、すなわちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには決定して深く、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と信ず。二つには決定して深く、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、定んで往生を得」と信ず、と。

 善導の「二種深信」の教えです。深信の心はすなわち真実信心、真実信心は如来回向の仏智です。この身に十八願成就して信心をたまわれば、すなわち、信の一念に智慧が生ずる。この智慧を「因」として仏「果」に至るから現生不退という。智慧をいただけばこそ、衆生の実相、すなわち「出離の縁あることなし」がわかる。救われない身であるとわかったから「疑いなく慮りなくかの願力に乗じ」るのであり、かの願力、智慧の自ずからなる働き、願力自然によって仏への道を歩まされていく。よって、「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」とは現生不退であり、悪人とわかった人が仏になるので「悪人成仏」という。


 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-10-02 05:08 | 歎異抄を読む | Comments(0)