2018年 09月 29日 ( 1 )

歎異抄・第二章(4)

 (3)弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

(歎異抄・第二章)

 『教行信証』化身土巻に云わく、「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき」と。建仁元(1201)年、親鸞は二十九歳で機縁熟して法然に出遇い、元久二(1205)年には早くも『選択本願念仏集』の書写を許されている。親鸞はその喜びを以下のように語っている。「『選択本願念仏集』は、禅定博陸 月輪殿兼実・法名円照の教命に依って撰集せしむるところなり。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見る者諭り易し。誠にこれ、希有最勝の華文、無上甚深の宝典なり。年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万といえども、親と云い疎と云い、この見写を獲るの徒、はなはだもって難し。しかるに既に製作を書写し、真影を図画せり。これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。仍って悲喜の涙を抑えて由来を縁を註す」と。

 長いがあえて引用した。何度読んでも師をいただく喜びが感動的に伝わってきます。親鸞は生涯、この感動の中にいた。思うに、仏教とは仏心を伝えてきた伝統なのでしょう。しかも目に見えない仏心は人から人へと伝わっていく。知識なら叡山で十分に学んだ親鸞です。法然からなにかを教えてもらったということはなかったでしょう。しかし、仏だけを見たことがなかった。親鸞は法然を見たのではなく法然に仏を見た。だから、すぐに法然から親鸞へと仏心が伝わったのです。

 南無阿弥陀仏

*9月18日~10回

by zenkyu3 | 2018-09-29 05:48 | 歎異抄を読む | Comments(0)