2018年 09月 26日 ( 1 )

歎異抄・第二章(1)

 (1)おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。

(歎異抄・第二章)

 『年表』によれば、建長四(1252)年、親鸞八十歳の項に「親鸞、書状により関東の「造悪無碍」の風儀を制止」とあり、建長四年八月十九日付けのご消息には以下のようにあります。「煩悩具足の身なれば、こころにもまかせ、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいうまじきことをもゆるし、こころにもおもうまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにあるべしともうしおうてそうろうらんこそ、かえすがえす不便におぼえそうらえ」「師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなずりなんどしあわせたまうよしきこえそうろう。あさましくそうろう。すでに、謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。」(『親鸞聖人御消息集・広本』第一通より一部抜粋)

 第二章の歴史的な背景です。親鸞が育てた関東教団の中に「造悪無碍」の異義が広まり、信心に動揺が出てきた。そのような人たちの中に、京都に登って親鸞聖人から直に教えを聞こうという人が出てきたのでしょう。上京した人たちの中に、歎異抄の作者、若い頃の唯円がいたとされるのです。唯円は初めて親鸞を見たわけだから、その印象は生涯、深く記憶に刻まれていたに違いない。第二章には直に聞いた者にしか書けない迫力がある。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-09-26 05:39 | 歎異抄を読む | Comments(0)