2018年 09月 22日 ( 1 )

歎異抄・第一章(4)

 (2)弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。

(歎異抄・第一章)

 次は第二節です。第一節では、弥陀の本願とは智慧を与えて救う働きであると教えていただきました。仏の定義です。仏とは智慧であり、智慧は光であり、光は照らすものを選ばないから「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」と言います。また、光は見えるようにする。見えなかったものが見えるのは光が生じたからです。光の中でなにが見えたか。見たくない自分の心が見えた。自分の心の実際を見せていただいた。だから「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」という。われらは自分が誰だかわからずに苦しんできた。これを生死流転という。自分がわかれば迷うことはない。そうでしょう。よって、自分の心が見えたことが救われたことです。智慧を与えて救うので如来回向という。これが十八願のおこころです。だから「ただ信心を要とすとしるべし」という。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-09-22 05:48 | 歎異抄を読む | Comments(0)