2018年 09月 09日 ( 1 )

二河白道(1)

 譬えば、人ありて西に向かいて行かんと欲するに百千の里ならん、忽然として中路に二つの河あり。一つにはこれ火の河、南にあり。二つにはこれ水の河、北にあり。二河おのおの闊さ百歩、おのおの深くして底なし、南北辺なし。正しく水火の中間に、一つの白道あり、闊さ四五寸許なるべし。この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交わり過ぎて道を湿す。その火焰また来りて道を焼く。水火あい交わりて常にして休息なけん。

(教行信証・信巻「観経疏」引用部分)

 「二河」は貪瞋煩悩に喩える。思い通りになって幸せになったり、思い通りにならないといって人を憎んだりする。貪欲と瞋恚の二つの煩悩の間を行き来して、怒りに巻き込まれては罪悪を造り、造った罪悪の報いに苦しみながら、なぜかもわからずに一生を終わることを貪瞋煩悩という。人の心、生きるとはそういうものだ、なにが悪いと、みな心の中でそう思う。だから、誰も苦楽を超えた仏の道を求めようとはしない。しかし、まれに真面目に仏法を聞く人がいて、その支配から逃れようとすると、貪瞋煩悩の悪獣、心を盗む盗賊どもは途端に本性を現し、牙を剥いて悟りを求める旅人に襲いかかってくる。煩悩の支配と闘う恐ろしさ、深い孤独を「二河白道」は実によく描いている。

 南無阿弥陀仏



by zenkyu3 | 2018-09-09 05:08 | 教行信証のこころ | Comments(0)