2018年 09月 07日 ( 1 )

法身は無相なり

 真実の智慧は実相の智慧なり。実相は無相なるがゆえに、真智は無知なり。無為法身は法性身なり。法性寂滅なるがゆえに、法身は無相なり。無相のゆえによく相ならざることなし。このゆえに相好荘厳すなわち法身なり。無知のゆえによく知らざることなし。このゆえに一切種智すなわち真実の智慧なり。

(教行信証・証巻「論註」引用部分)

 有相が見えることを智慧という。有相は有相を見ないから有相を見るのは無相である。無相は有相を照らすから無相というだけで、色も形もないから無相という。よって、有相が見えたら、見えたことが無相である。喩えていえば、有相は此岸である。無相は彼岸である。此岸にいて此岸は見えない。此岸が見えたのは彼岸に渡ったのである。彼岸に渡ったことを悟ったという。真実の智慧を得たというのである。すなわち、無相とは智慧であり、智慧とは悟りであり、悟りとは仏である。見えるようにして救うから仏というのである。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-09-07 05:03 | 教行信証のこころ | Comments(0)