2018年 09月 06日 ( 1 )

一乗海釈

 「一乗海」と言うは、「一乗」は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得るは、阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。阿耨菩提はすなわちこれ涅槃界なり。涅槃界はすなわちこれ究竟法身なり。究竟法身を得るは、すなわち一乗を究竟するなり。如来に異なることましまさず、法身に異なることましまさず。如来はすなわち法身なり。一乗を究竟するは、すなわちこれ無辺不断なり。大乗は、二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は、一乗に入らしめんとなり。一乗はすなわち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。

(教行信証・行巻「御自釈」部分)

 一乗とは無上涅槃を悟る唯一の教えである。これ以外に無上涅槃に入る道はない。こう、はっきり述べられているのでしょう。この身をもって経験できることとできないことがある。できることはわずかである。できないから究竟という。究竟とは空である。空は広さがない。終わりがない。これでいいがない。すなわち、究竟から現れて法身と方便していただいて、われらを究竟へと導いてくださる。これを誓願一仏乗という。信じるだけで仏になる。なんで信じないでいられようか。信ずるべきであると、そんなお気持ちであろうか。

 また、曇鸞の『浄土論註』に云わく、「海とは、言うこころは、仏の一切種智、深広にして涯なし、二乗雑善の中下の屍骸を宿さず、これを海のごとしと喩う。このゆえに「天人不動衆 清浄智海生」と言えり。「不動」とは、言うこころは、かの天人、大乗根を成就して傾動すべからざるなり」と。広さのない広さ、無限すら超えた無限を「海」に喩えて、その働きを示す。「海」はすなわち「空」を象徴する。「空」に触れると智慧と慈悲を生じるから「天人不動衆 清浄智海生」といい、「空」からはこぼれ落ちる心配がないから「不動」という。

 南無阿弥陀仏



by zenkyu3 | 2018-09-06 05:59 | 教行信証のこころ | Comments(0)