2018年 09月 02日 ( 1 )

不虚作住持功徳成就

 『浄土論』に曰わく、「何者か荘厳不虚作住持功徳成就、偈に、仏の本願力を観ずるに、遇うてむなしく過ぐる者なし、よく速やかに功徳の大宝海を満足せしむがゆえにと言えり。」不虚作住持功徳成就は、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。乃至 言うところの不虚作住持は、本法蔵菩薩の四十八願と、今日阿弥陀如来の自在神力とに依る。願もって力を成ず、力もって願に就く。願、徒然ならず、力、虚設ならず。力・願相符うて畢竟じて差わず。かるがゆえに成就と曰う。

(教行信証・行巻「論註」引用部分)

 「力、虚設ならず」とは智慧の働きの自覚です。「力」は理屈ではない。事実であるから真実の帰依が生じ、疑いが晴れる。信の一念に智慧をいただくから「即得往生」というが、即得往生は「往生」ではない。また往生は「滅度」でもない。即得往生は往生ではないが「必至滅度」だから即得往生という。なぜ必至滅度かといえば「もともと仏である」から必ず仏になる。あらためて仏になる必要がない。そうわかれば浄土を出て衆生済度に出かける。

 即得往生は智慧をいただいたが、まだ智慧が働き出していない。智慧がまだ観念の域にとどまる。しかし、智慧の働きは徐々に働きを現して、智慧は煩悩を遠ざける。煩悩の影響を受けなくなるほどに智慧が自在に働く。やがて、「力、虚設ならず」と知る。智慧が自在に働き出せば自力はすっかり廃れて他力だけになる。それを「教化地」という。浄土は「空」だから奥がない。奥がないので何度でも往生する。何度も往生して、菩薩、八地の教化地に至れば浄土を出る。だから「還相」もまた現在という。

 南無阿弥陀仏



by zenkyu3 | 2018-09-02 06:00 | 教行信証のこころ | Comments(0)