2018年 08月 26日 ( 1 )

 「道」は無碍道なり。『経』(華厳経)に言わく、「十方無碍人、一道より生死を出でたまえり。」「一道」は一無碍道なり。「無碍」は、いわく、生死すなわちこれ涅槃なりと知るなり。かくのごとき等の入不二の法門は無碍の相なり。

(教行信証・行巻「論註」引用部分)

 生死も涅槃も心の状態を表す。迷うには迷う因縁があり、悟るには悟る因縁がある。温度によって水は氷にも蒸気にもなるように、心もまた因縁によって生死にもなり涅槃にもなる。生死なる「境」、涅槃なる「境」があるだけで「人」はない。すべては因縁生起で、因縁によって起きることが起きている。よって、生死といって嫌うことはなく、涅槃といって執着することもない。このようなことを「生死即涅槃」と言ったのです。心は生死にもなれば涅槃にもなるが、しかも心はいずれの跡も残さない。それゆえ「無碍の相」という。諸仏はみな、この「無碍道」を通って仏になったのです。他に道はないから「一道」という。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-26 05:42 | 教行信証のこころ | Comments(0)