2018年 03月 19日 ( 1 )

三経安心の御文

  そもそも、ちかごろは、この方念仏者のなかにおいて、
  不思議の名言をつかいて、これこそ信心をえたるすがたよといいて、
  しかもわれは当流の信心のよくしりがおの体に、心中にこころえおきたり。
  そのことばにいわく、「十劫正覚のはじめよりわれらが往生をさだめたまえる、
  弥陀の御恩をわすれぬが信心ぞ」といえり。これおおきなるあやまりなり。
  そも弥陀如来の正覚をなりたまえるいわれをしりたりというとも、
  われらが往生すべき他力の信心といういわれをしらずは、
  いたずらごとなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第一帖・第十三通)

 ここで蓮如が批判しているのは「十劫安心」という異安心です。現代においては「異安心」などというとおどろおどろしいが、要は真面目に信仰する気もなく、懺悔ということもなく、ましてや信心を取るほどの求道心もない。昔も今もそんな人が大半なのでしょう。「すでに救われている」などと安手の信仰で済まそうというのでしょう。口には出さなくても、心の中はみな「十劫安心」なのではないですか。


 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-03-19 06:05 | 御文を読む | Comments(0)