2018年 03月 17日 ( 2 )

帖外ブログ・其の十六

一、頭で考えたことを妄念妄想という。考えたことは事実ではない。

二、悩みは頭の中にある。妄念妄想で悩む。事実は悩まない。事実に立てば悩まない。

三、みな、理由がわからないと言って苦しむが事実に理由はない。

四、事実に理由がないから、みな勝手な理由を見つけることができる。妄念妄想という。

五、事実に理由はない。誰かのために起きている訳ではない。

六、事実を受け入れたくないから自分を納得させる理由がほしい。事実の上に自分がある。

七、真実は頭の中にあり、起きていることは間違っていると思う。まったく逆だ。

八、理想とはただの観念であって一度も起きたことがない。

九、苦しみは外から来て自分を苦しめるように思っているが、苦しみは自分で造ってる。

十、思い通りになることなど人生にはない。事実を受け入れれば楽に生きられる。

平成三十年三月十七日

善及記す

by zenkyu3 | 2018-03-17 06:36 | 帖外ブログ | Comments(0)

五重の義の御文

  そもそも善知識の能というは、
  「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。
  これによりて五重の義をたてたり。
  一には宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号。
  この五重の義成就せずは、往生はかなうべからずとみえたり。
  されば善知識というは、阿弥陀仏に帰命せよといえるつかいなり。
  宿善開発して、善知識にあわずは往生はかなうべからざるなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第二帖・第十一通)

 善知識は仏が会わしてくださる。善知識は仏の御はからいでお念仏申すお方ですから仏のお心がお姿になってわたしの前におられる。仏はわたしに準備ができれば必要なものをわたしのために用意してくださる。なにからなにまで親のなすままでわたしがしたことなどなにもない。時と機がそろえばやがて仏は善知識に会わしてくださる。師の仏心とわたしの仏心が互いに照らし合って、師も役目を果たせたと喜び、弟子もお念仏申す身となって喜ぶ。みな仏のなされることです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-03-17 06:08 | 御文を読む | Comments(0)