2018年 03月 05日 ( 1 )

一念に弥陀の御文

  一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、
  無上大利の功徳をあたえたまうこころを、『和讃』に、聖人のいわく、
  「五濁悪世の有情の/選択本願信ずれば/不可称不可説不可思議の/
  功徳は行者の身にみてり」(正像末和讃)。 (中略)
  「不可称不可説不可思議の功徳」ということは、かずかぎりもなき大功徳のことなり。
  この大功徳を、一念に弥陀をたのみもうす我等衆生に回向しましますゆえに、
  過去未来現在の三世の業障、一時につみきえて、
  正定聚のくらい、また等正覚のくらいなんどにさだまるものなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第五帖・第六通)

 信の一念に智慧をいただく。智慧とは心の全体が見える。見えるとは離れる。執着が落ちたから見える。よって、心への執着が落ちた瞬間を信の一念というのでしょう。心への執着が落ちると、見られる心から心を見る眼へと主体が転ずる。わたしは心ではなく、眼がわたしになる。心はわたしではないから「過去未来現在の三世の業障、一時につみきえて」といい、眼がわたしになったので「等正覚のくらいなんどにさだまる」という。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-03-05 06:06 | 御文を読む | Comments(0)