2018年 02月 28日 ( 1 )

それ弥陀如来の御文

  それ、信心をとるというは、ようもなく、
  ただもろもろの雑行雑修自力なんどいうわろき心をふりすてて、
  一心にふかく弥陀に帰するこころのうたがいなきを、真実信心とはもうすなり。
  かくのごとく一心にたのみ、一向にたのむ衆生を、
  かたじけなくも弥陀如来はよくしろしめして、
  この機を、光明をはなちてひかりの中におさめおきましまして、
  極楽へ往生せしむべきなり。
  これを、念仏衆生を摂取したまうということなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第五帖・第十五通)

 御文はどれも「信心を取れ」と言っている。どの御文も蓮如の信体験に裏打ちされていることは間違いない。蓮如はいつ自分が信心を取ったかを明らかにしていないし、善知識が誰かにも触れていない。まして、蓮如の信体験の実際がどのようだったかは誰も知らない。それでもここに「一心にたのみ、一向にたのむ衆生」とあるは、苦労して信を聞きとげた蓮如自身の姿であったのだろうし、「かたじけなくも弥陀如来はよくしろしめして」とあるは、仏さまに見守っていただいていたことをわたしは知らずにいたが、いま、そのことを初めて知った、と。その喜びは蓮如自身の体験だったに違いない。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-02-28 06:05 | 御文を読む | Comments(0)