2018年 02月 27日 ( 2 )

出家発心の御文

  『和讃』にいわく、
  「弥陀の報土をねがうひと 外儀のすがたはことなりと
  本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」(高僧和讃)といえり。
  「外儀のすがた」というは、在家・出家、男子・女人をえらばざるこころなり。
  つぎに「本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」というは、
  かたちはいかようなりというとも、
  またつみは十悪・五逆・謗法・闡提のともがらなれども、回心懺悔して、ふかく、
  かかるあさましき機をすくいまします、弥陀如来の本願なりと信知して、
  ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念の心つねにして、わすれざるを、
  本願たのむ決定心をえたる、信心の行人とはいうなり。(以上、一部抜粋)

  (御文・第一帖・第二通)

 南無とはわたし、阿弥陀仏は仏さま。南無阿弥陀仏は仏さまとわたしが一緒の姿を現す言葉です。仏さまがわたしを憶念するから、わたしが仏さまを憶念する。仏さまがわたしを忘れないから、わたしは仏さまを忘れない。このことを「憶念の心つねにして」といいます。いつも仏さまと二人暮らしだから、いつでも、どこでも念仏が自然に出てくる。わたしがわたしでいられるのはいつも仏さまに憶われているからで、自分が誰なのかを見失わないのはいつも仏さまに見守っていただいているからです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-02-27 06:18 | 御文を読む | Comments(0)

帖外ブログ・其の十一

一、事実はいま起きていること。事実に都合のいいも悪いもない。

二、都合のいい悪いがあるのは自分があるから。自分があるから如実にはなれない。

三、如実にはなれないが、如実になれない自分を仏さまに教えてもらう。

四、事実を受け入れられなくて苦しいが、苦しいことを仏さまは知っていてくれる。

五、苦しみは事実を受け入れられないこと。苦しみの原因は外ではなく内にある。

六、思い通りにならないといって苦しむから忍土という。

七、身は忍土にあるが心は浄土にある。身は苦しむが心は苦しまない。

八、受け入れられない事実を受け入れて生きる。これを柔和忍辱の心という。

九、わたしたちは事実ではなく意味を生きている。いつも意味を求めている。

十、意味はわたしの生きる基準であっても事実ではない。

南無阿弥陀仏

平成三十年二月二十七日

善及記す


by zenkyu3 | 2018-02-27 06:15 | 帖外ブログ | Comments(0)