2018年 02月 17日 ( 1 )

御浚えの御文

  そもそも、今度一七か日報恩講のあいだにおいて、
  多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定し給えるよしきこえたり。
  めでたく本望これにすぐべからず。
  さりながら、そのままうちすて候えば、信心もうせ候うべし。
  細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。 (以上、一部抜粋)


  (御文・第二帖・第一通)

 一度の報恩講で同時にたくさんの念仏者が生まれるとは今では考えられないような仏法興隆の時代です。「大略信心を決定し給えるよしきこえたり。めでたく本望これにすぐべからず」と、それをさも当然のように受け止める蓮如の口振りが凄い。どんな報恩講であったか想像もつかない。信心を取る体験は踊躍歓喜といって本人にははっきりとした体験であるが、一と月もすると興奮が冷めて、それがどんな体験だったかもわからなくなる。

 わからなくなった後、その微妙な感触を壊さないように、その感触を思い出し確かめるように聴聞が始まるのです。そのことがあるので蓮如は「細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせ」と指導するのでしょう。体験は二度は起きない。一度きりの信体験を確かめ確かめ、体験を言葉にする作業が生涯にわたって続くのです。針の先ほどの光だった智慧が少しずつ光を増していく。その自信のプロセスがそのまま教人信になるのです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-02-17 06:01 | 御文を読む | Comments(0)