2018年 02月 07日 ( 1 )

悪人

(歎異抄・第三条・その一)

  善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
  しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。
  この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。

  (歎異抄・第三条)

  これはやはり機の深信、自分について自分がよいと思っている人が善人、
  自分は「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(第二条)、
  往生の因も手がかりもないと自覚している人が悪人。
  自分みずから出離菩提の因もなく、往生のてがかりもなしと深信する人を悪人という。

  (歎異抄聴記175ページ)

 救われないとは、なにから救われないのかと言えば、自分の心に縛られている。自分の心から救われない。だから、「自分がよい」と思っている「善人」は自分の心が苦悩の原因だと知らない。苦悩の原因は外にあって自分を苦しめると考える。自分の心が苦悩の原因だとわかれば自分の心を捨て、仏にすがるしかなくなるという実に簡単な問題だが「いずれの行もおよびがたき身なれば」とわかるまで、いましばらく自分の心への執着の深さ、手強さに泣かなくてはならない。深く聴聞すればそういうことが少しずつわかるようになる。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-02-07 06:19 | 歎異抄聴記を読む | Comments(0)