2018年 01月 31日 ( 1 )

(歎異抄・第一条・その五)

  (1)弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
  往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
  すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。

  (2)弥陀の本願は老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。

  (3)そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。

  (4)しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。
  悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

  (歎異抄・第一条)

  ゆえに第一条の本文をみると、はじめの一段は行である。念持である。
  念持の行体について信心為本をあきらかにし、信の意義をあきらかにして、
  信をとおして念持の行が成就して現生不退の益をうるのが第一条のおこころとする。

  第二条は「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
  往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
  すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」を、くわしくのべるのが第二条である。

  「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。
  そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」。
  この意義をあきらかにするのが第三条である。

  第四条から第八条までは「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、
  念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、
  弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」。
  「悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」、
  この最後の一句を詳述するのが第九条である、と香月院師は述べておられる。

  (歎異抄聴記104ページ)

 曽我量深師の『歎異抄聴記』を読んでいます。わたしは学問をしたことがありませんが、量深師の著書を読むたびに「学問とはすごいものだ」と、ただただ感心しています。この書も何度読んだか忘れましたが、読むだけで楽しい本はそうないと思います。ぜひとも読んでみてください。以上、第一条を読み終わりました。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-31 06:09 | 歎異抄聴記を読む | Comments(0)