2018年 01月 29日 ( 1 )

罪悪深重

(歎異抄・第一条・その三)

  そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。

  (歎異抄・第一条)


  罪悪深重とは罪悪を感じる感じが深いことである。
  底知れない如来の大慈悲心の中に自分の罪悪を感じる。
  この罪悪は宿業であり宿悪である。
  すべてこの宿業に悩まされている苦悩の衆生をすてずして、
  この苦悩の衆生をたすける。
  苦悩の衆生に南無阿弥陀仏の名号を回向する。

  南無阿弥陀仏を回向して、そして南無阿弥陀仏の主として、
  万善万行恒沙の功徳の主として、
  そしてそれによってわれらの罪もさわりも、あっても消滅する。
  それは個人としてはいかなる罪も犯しているようであるが、
  しかしながらすべての罪も罪悪も宿業である。
  善悪は宿業であると知らしていただいたところにおたすけがある。

  (歎異抄聴記98ページ)

 仏はあちら、彼岸に在す。われらはこちら、此岸にいる。仏の眼はあちらからこちらをご覧になる。人の眼はこちらからあちらを見る。此岸に居るから此岸は見えない。人の眼では見えない此岸を仏の眼で見せていただく。宿業とはわが身の事実だから自分では見えない。見えない宿業を仏から見せていただいた。「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」、すなわち「悪人」と教えていただいた。自分の心を見えるようにしていただいたので、これを回向という。


 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-29 06:16 | 歎異抄聴記を読む | Comments(0)