2018年 01月 15日 ( 1 )

  一 聖人の御一流は、たのむ一念の所、肝要なり。
  故に、たのむと云うことをば、代々、あそばしおかれそうらえども、
  委しく、何とたのめと云うことを、しらざりき。
  しかれば、前々住上人の御代に、『御文』を御作り候いて、
  「雑行をすてて、後生たすけたまえと、一心に弥陀をたのめ」と、
  あきらかにしらせられ候う。
  しかれば、御再興の上人にてましますものなり。

  (蓮如上人御一代記聞書188条)

 「弥陀をたのむ」となぜ仏になるのか。「たのむ」とは、主人とする、頼りにして仕える、つき従う、という意味です。なにをたのむかというと「弥陀をたのむ」、阿弥陀仏に南無する南無阿弥陀仏です。いままでは自分の心を主人として、自分の心に仕えてきた。自分の心と完全に一体となって、自分の心を満足させるためだけに生きてきた。自分の心に南無する南無・自分の心です。心に二つあるとは知らなかった。仏の心を主人とするを他力、自分の心を主人とするを自力というが、どちらを選んで南無するかはあなたが決める。


 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-15 06:06 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)