2018年 01月 08日 ( 2 )

二河白道の譬え(1)

  *4 時に当たりて惶怖すること、また言うべからず。
  すなわち自ら思念すらく、「我今回らばまた死せん、
  住まらばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、
  我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。
  すでにこの道あり。必ず度すべし」と。
  この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。
  「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。
  もし住まらばすなわち死せん」と。
  また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、
  「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。
  すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

  (教行信証・信巻「二河白道」引用部分)

 西の岸から仏が呼ぶ。「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。自分の心(凡心)を捨てるのは死ぬほど恐ろしい。「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、去かばまた死せん」を三定死という。自分の心と闘い、ここまで辿り着く人は極めて稀だが、三定死に至って初めて仏の呼び声が聞こえる。


 凡心と仏心の二者選択までにようやく追いつめられて、「一種として死を勉れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度すべし」と仏にすがり、仏に守られ三定死の恐怖を超えた一瞬に西の岸に渡る。西は仏心、東は凡心。凡心から仏心に主体が転換する信の一念です。二河譬は行者が命懸けで信を取る内面の葛藤を驚くほどリアルに描いている。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-08 06:04 | 教行信証のこころ | Comments(0)

二河白道の譬え(原文)

*1 また一切往生人等に白さく、今更に行者のために、一つの譬喩を説きて信心を守護して、もって外邪異見の難を防がん。何者かこれや。

*2 譬えば、人ありて西に向かいて行かんと欲するに百千の里ならん、忽然として中路に二つの河あり。一つにはこれ火の河、南にあり。二つにはこれ水の河、北にあり。二河おのおの闊さ百歩、おのおの深くして底なし、南北辺なし。正しく水火の中間に、一つの白道あり、闊さ四五寸許なるべし。この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交わり過ぎて道を湿す。その火焰また来りて道を焼く。水火あい交わりて常にして休息なけん。

*3 この人すでに空曠の迥なる処に至るに、さらに人物なし。多く群賊悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競い来りてこの人を殺さんと欲す。死を怖れて直ちに走りて西に向かうに、忽然としてこの大河を見て、すなわち自ら念言すらく、「この河、南北辺畔を見ず、中間に一つの白道を見る、きわめてこれ狭少なり。二つの岸、あい去ること近しといえども、何に由ってか行くべき。今日定んで死せんこと疑わず。正しく到り回らんと欲すれば、群賊悪獣漸漸に来り逼む。正しく南北に避り走らんと欲すれば、悪獣毒虫競い来りて我に向かう。正しく西に向かいて道を尋ねて去かんと欲すれば、また恐らくはこの水火の二河に堕せんことを。」

*4 時に当たりて惶怖すること、また言うべからず。すなわち自ら思念すらく、「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度すべし」と。この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。もし住まらばすなわち死せん」と。また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

*5 この人すでに此に遣わし彼に喚うを聞きて、すなわち自ら正しく身心に当たりて、決定して道を尋ねて直ちに進みて、疑怯退心を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分するに、東の岸の群賊等喚うて言わく、「仁者回り来れ。この道嶮悪なり。過ぐることを得じ。必ず死せんこと疑わず。我等すべて悪心あってあい向うことなし」と。

*6 この人、喚う声を聞くといえどもまた回顧ず。一心に直ちに進みて道を念じて行けば、須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難を離る。善友あい見て慶楽すること已むことなからんがごとし。これはこれ喩なり。

(教行信証・信巻「二河白道」引用部分)


by zenkyu3 | 2018-01-08 06:03 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)