2018年 01月 06日 ( 1 )

仏恩を嗜む

  一 「仏恩を嗜む」と、仰せ候う事、
  世間の物を嗜むなどというようなることにては、なし。
  信のうえに、とうとく、有り難く存じ、よろこび申す透間に、懈怠申す時、
  「かかる広大の御恩を、わすれ申すことのあさましさよ」と、
  仏智にたちかえりて、「有り難や、とうとや」と、思えば、
  御もよおしにより、念仏を申すなり。
  嗜む、とは、これなる由の儀に候う。

  (蓮如上人御一代記聞書225条)

 誰の言葉かわかりませんが、試みに現代語訳してみます。以下の通りです。「仏恩を嗜む」というお言葉があります。もちろん、世間でいう「なになにを身につける」という意味とは違います。信心をいただくと、常に仏のお心の中に生活してはいるのですが、すぐに煩悩に取りついて、仏のお心の中ということを忘れる。忘れるが、すでに仏のお心の中なので、すぐに仏のお心の中と思い出す。凡心に転落しても、すぐに仏心に転ぜられるのです。これが信の一念にいただいた智慧の働きというもので、智慧が次第次第に身についてくることを仏法においては「仏恩を嗜む」というのです。

 さて、親鸞聖人は「金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲」(教行信証・信巻)とお示しになり、その一つに「転悪成善の益」を上げておられます。「悪を転じて善に成す」とは、悪は凡心、善は仏心のことで、煩悩に繋がった心が仏心に転ぜられることを言います。仏の方から煩悩が見える智慧の働きです。この智慧の働きがあるので、何度、煩悩心に転落してもすぐに仏心に転ぜられるのです。これを何万、なん十万回でも繰り返しながら、少しずつ煩悩が浄化されていく。これが仏への道を歩む念仏者の生活です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-06 06:18 | 特集「蓮如上人御一代記聞書」 | Comments(2)