2017年 03月 06日 ( 1 )

仏に信じられている 一

 子どもが、わたしの体に身をすりよせて、当たり前のような顔をして、わたしの目をのぞきこむ。わたしの目の中になにかを確認して、何もなかったように行ってしまう。子どもは、親との信頼という目に見えない空気の中に生息する小動物だと思う。

 そんな幼い子のように、親とも思う仏のこころの奥に自分自身の姿を発見するとき、はじめてわたし達は、自分を知り、心から自分自身を信じることができるのだと思います。仏を知るということは、相対有限のこの身に安んじることができるということですから。

 長きにわたる裏切りにもかかわらず、わたしを信じ、手だてを尽くして目覚めへと導いてくれた仏のご苦労を思う時、有り難さ、申し訳なさに自然と念仏もうされます。わたしにかける仏のこころと、仏を思うわたしのこころが融けあって、やわらかな光が一切を満たすように感じられます。親に信じられてある子の幸せ、と言ったらよいでしょうか。

 人に負け、人に負けして歩む信心の道は、やがて、この世の最低のところで、ただ仏のご恩を仰ぐだけの生活に辿りつき、煩悩を恐れる気持ちから解放されます。

 1992-9-28
by zenkyu3 | 2017-03-06 13:12 | 樹心会々員からのお便り | Comments(0)