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2016年 11月 18日 ( 1 )

(櫛谷宗則責任編集『共に育つ』第6号掲載)


 仏の心に出会うまで


 1 はじめに

 わたしは自分の人生にたいへん満足している。といって、金があるわけでも女房がとくに美人だからというわけでもない。仏法に出会えたこと、すなわち人間世界を超えた真実が確かにあったことを知った人生だからだ。求めるべき人生最高の宝を手にした喜びといっていい。

 たまたま私は念仏の教えによって真実を知る経験を持ったが、もともと家庭が門徒であったわけでも、人に勧められて念仏を始めたわけでもない。私が念仏に出会えたのも学生時代に抱えたテーマ、誰もが一度は通る、そして、皆が素通りしてしまう「何のために生きるのか」というテーマを青臭い学生よろしく後生大事に引きずってきたからだろうということになる。

 2 永遠の命

 さて、これから述べようとしているのは一般に廻心と呼ばれている経験のことで、親鸞さんは信心獲得といっているが、何かのきっかけで人間の心がつくっている世界を心そのものが超え出てしまって、人間の心が根本的に転換してしまう事態をいっているのだろうと私は考えている。

 心がつくった世界そのものを超えることだから、どんなに頭で観念をこらしたり心を純化しても超え出ることの不可能な道、むこうからの一方通行の道である。そのような人間世界と隔絶した絶対世界がどのようにして、今生、この有限の身に現前するのか。

 わたしたちは通常「こちら」から「あちら」、むこうにある対象をこちらから見るという「ものの見方」をしているが、私たちが日常的に経験するこの世界を超え出る体験をするとき、不思議なことに「あちら」から「こちら」の世界を見るような「ものの見え方」を獲得する。

 そうすると、こちらの世界、つまり私たちの棲むこの世界が実は客観的に実在する世界ではなくて、私たち人間の心がつくっている仮構の世界だということがわかってくる。するといつも自分の心にわきあがってくる感情や想念への執着心が相対化されて、絶え間なくわきあがる思いに拘束されにくくなる。

 この「ものの見え方」を初めて獲得する経験を廻心といい、この「ものの見え方」を可能にする不思議な働きこそ、釈尊をはじめ多くの人たちを目覚まし続けてきた永遠の命であった。

 この「ものの見え方」がさらに純化されてくると、人間及び自分の心のあさましさが余計にはっきりしてきて、精神生活の中に自ずと懺悔を生じる。ただし、懺悔はエゴを補強するような人間的な知恵による自己反省とは本質的に違うから、必ずしも自己改善を要求しない。

 とはいっても、あさましい姿を見ればそのままでいいとは思えないものだから、なにやら自然と修行者らしくなって人生を歩まされていくのはこのためである。その「ものの見え方」を与え施すことで迷いの事実に目覚ませ救おうとする永遠の働き、それを仏とも本願ともいうのだと私は考えている。それでは、私が信心を獲得するに到った経緯を次に述べる。


3 仕事での挫折

 ちょうど5年前、私は自分の企画で始めた新規事業に失敗して、いや自ら放棄して、親身に育ててきた部下も捨て出奔してしまった。やがて家には戻ったが何をする勇気もなく、ただ仕事を貫徹できない非力さと部下を裏切った卑怯者という烙印を背にして、会社へ行っても何もすることのない日々を3ヵ月程過ごしていた。

 道ばたの小石にすら卑怯者と見下げられているような恥ずかしさの中で息をしていた。最低の人間だった。そんなときに書店で見つけたのが『わが名を称えよ』という本で、これが心に響いて、誰もいない事務所で毎日仕事のように読んでいた。

 やがて札幌を離れ東京での単身赴任が始まり、真宗会館で聞法するようになったが、後生願いの年寄りむけの話ばかりで、ちっとも好きになれなかった。もうここで「人生が何なのか」が分からなかったら俺の人生も終わりだと、思い詰めて過ごす悲惨な毎日だったものの、幸い仕事は窓際で、アパートでは単身だったので読書はふんだんにできた。

 念仏も口真似で称えたが、何の意味があって称えるのかと疑ってする念仏だった。しかし、ともかくも、仏のことしか考えていなかった。そんな中、聞法を始めて4ヵ月ほどたった頃、ある経験をした。


 4 聞法の生活

 例によって、単身生活のアパートで真宗聖典を読んでいたとき、耳の後ろの方でいきなりサーチライトのような激しい光量の光が発生して、部屋を一瞬真っ白にした。驚いて後ろを振り向くと、そこに金色の薄い金箔を中空にはりつけたように、仏の顔が浮かんだのだ。

 一瞬、「とんでもないものを見た」と思った。すぐ幻覚だと分かったが、私にはこれがとても嬉しくて、ひょっとしたら仏という存在者がいて、こんな惨めな私の生涯を見守ってくれているのではないか、という気がしたのだった。

 その頃には、師と呼べる先生に出会って聞法していたが、わからない、わからない、何がわからないのかもわからない、とつぶやくような毎日だったように思う。先生は「急ぐな」というが、私にはまったく余裕がない。わからないのは、わかろうとするからではないかとも思い、念仏に集中して、どこでも念仏していたが、やがて、捨てきれない自分というものの輪郭のようなものが見えだした。

 しかし、捨てたらどうなるという「あて」もないので、ずっと躊躇したままだった。自分という思いを手放したら、人格が崩壊して、虚無に落ち、廃人になってしまうのではないか、そんな恐怖感が出てくるのだ。

 実は、このリーンと静まり返った無機質な暗闇の世界、異常に神経が尖鋭となった孤独の時間を学生の頃にも経験していて、ここで退いては、また人生の真実に出会えないのではないかと、深刻な二者選択を迫られた。念仏にすがっておのれを捨てるか、それとも卑怯者よろしく、また逃げ出すか。挫折の苦しみから逃れる気持ちから始めた聞法だったが、さらに苦しいところへ追い込まれてしまった。

 しかし、そんな生活のなかでも、ほっとすることもあった。ある朝、何かウキウキするような胸騒ぎで眼が覚め、何か変だなと思いながらアパートを出ると、木々が、空が、家並みがみな嬉しそうに微笑んでいるのだった。こんな経験も初めてだったので、強く印象に残った。1月の寒い日だったが、春のような柔らかさに満ちていた。それから間もなくして、仏の心を感じる大きな転換に出会う。


5 わたしの信体験

 ざらざらと砂っぽい東京の1月、例によって、大した仕事もない事務所へ向かう途中、うつむいて緩い坂を歩いていて「ああ、ここは以前、商品開発が入っていたビルだ」と思った瞬間、私の意識の流れを突然遮って、いきなり一枚の絵が意識に割り込んできた。一瞬、時間が止まったと思う。

 広い荒涼とした原野に、後方に屹立する岩山を背に、ひざまずいて一心に祈っている私の姿を見たのだ。その瞬間、カランと乾いた音がして「あっ」と思った。「見た、見た」と。何を見たか、宇宙の果て遠くから、いや「あちら」から私を見ている眼、私を見る視線を見たのだ。解説的にいうと、「仏が見る私の姿」を、はっきりと見せてもらったという感じだろうか。

 「わたしはこうしてお前をいつも見ているのだよ」と、仏が直に私に語りかけたのだと思った。まぎれもない「仏の眼」を見せられるとともに、それを与えた「仏の心」を感じた。いきなり「あちら」からの大きな力に襲われ、永遠を垣間見たような、劇的な経験であった。肩の荷が下りたように身が軽くなり、身体を覆う喜びに支配された。

 こんな感じが1ヵ月くらいは続いただろうか。しかし、そんな喜びも2カ月もするとなくなり、何があったのかというような感じで、やがて、あれは何だったのか、という不審が頭をもたげてきた。再び念仏が始まった。あの感じを忘れないようにと願って念仏したが、1年くらいはまったく駄目で、また振り出しに戻ってしまったような不安に支配されるようになった・・・・。


 6 信心の智慧

 仏とは何か、私は納得のいく説明ができただろうか。私の場合、仕事での挫折と部下を裏切った自責の気持ちが自分への信頼感を崩壊させ、自分への執着心を断ち切る準備となったのだろうと思う。執着を切り捨て切り捨てするうちに自分の心に執着する太い絆に切れ目が生じ、その綱の切れる瞬間に仏の心が現前するのだと考えている。

 いつもわいてくる感情や想念に粘っこくとりつく執着心が一度破れると、わきあがる思い、感情や想念を自分だと思う根本的な誤り(無明)に気づく。この根本的な転換(覚醒)によって人は初めて本当の信仰に入るが、この転換について述べたつもりだ。

 「こちら」から見る人間のものの見方が転換されて、「あちら」から見る「ものの見え方」(真宗では信心の智慧というが)がだんだんと身についてくるその後の4年間であったが、人間的な悩みがなくなったわけでも、ものに動じない強い精神力が確立したわけもない。むしろこの身のもつ煩悩の底知れぬ深さと、口にするのも恥ずかしい醜さにゾッとする生活である。

 煩悩が見えてくるとよけい煩悩をなくそうとする執着が強くなってくるが、この執着が一番しつっこいのかも知れない。しかも煩悩のままにとはなかなかいかないもので、そんなときは知らずに念仏を称えていることが多い。


 7 あとがき

 仕事での挫折を契機に聞法の生活に入り、ようやく5年が過ぎた。生涯でもっとも長い5年だった。それでも近頃、信仰の生活にも一つの区切りがついてきたようなかんじがして、新たな仕事に挑戦する決心をした。このような文章を書こうと思ったのもそのためである。

 信心は私を再び社会へと押し出してくれたが、仏の心がだんだん身になじんできて、身にそう仏の心とともに人生を歩んでいる。(終わり)



 (付記) 以上は、わたしが42才のときに、櫛谷宗則師が責任編集する『共に育つ』第6号(1996年2月10日発行)に掲載させていただいた文章で、36才のときのわたしの宗教体験を述べたものです。善及



by zenkyu3 | 2016-11-18 06:12 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)