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現生に於て既に往生している

曽我量深随聞日録 6

 いつ死んでも成仏間違いないのは、現生に於て既に往生している、現生に於て既に浄土往生の生活を営んでおるものであるが故に、仏様でないけれども仏様と等しい生活を他力の不思議によって与えて下された。そういうものであるが故に、いつ命終っても大般涅槃のさとり間違いない確信確証を握っておるものである。こういうのが浄土真宗の教えの本当の精神である。(津曲淳三著『親鸞の大地―曽我量深随聞日録』97ページ)

 ▶︎信心をえたる人はかならず正定聚のくらいに住するがゆえに、等正覚のくらいともうすなり。いまの『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には、等正覚ととき給えり。その名こそかわりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつくらいなり。等正覚ともうすくらいは、補処の弥勒とおなじくらいなり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆえに、弥勒におなじととき給えり。(御消息集・善性本・第五通)
 ▶︎康元二(1257)年、二月九日夜、寅の時、夢の告げに云わく「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」。この和讃を夢に仰せを被りて、嬉しさに書き付けまいらせたるなり。正嘉元(1257)年丁巳壬三月一日 愚禿親鸞八十五歳書之(正像末和讃)

 現生に於て既に浄土往生の生活を営んでおるものである、と量深師はご自身のことを言っている。では、いつ浄土往生したか。親鸞は法然の下、二十九歳で信を獲た。これは十八願に約束された信楽で、始めて智慧をいただいた。いただいたが、すぐに働きを現して他力になる訳ではない。信の一念にいただいた智慧が生き生きと働きを現して他力となるには長い年月がかかり、親鸞が等正覚の位、自然法爾の境地に達したのは八十五歳の時です。正像末和讃の夢告讃にその感動が伝えられている。信をいただいたからこそ自力がわかった。しかし、本当に自力無功がわかり、自力が他力に転ずるのには年月がかかる。量深師は他力がはっきりしたから往生を遂げたと確信を持って言えた。煩悩具足の身の上に働きを現した他力という確証を握っている。これが往生ということです。往生すれば成仏はもう問題ではない。問題でないことを量深師は、いつ死んでも成仏間違いないと言った。善及

 南無阿弥陀仏

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by zenkyu3 | 2022-08-16 05:27 | 曽我量深に学ぶ | Comments(0)