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この順次生に仏になりて

 いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなり。

(歎異抄・第五章 -75)

 量深師云わく、「還相回向は何も命終らなければ還相回向はないというわけでもない。一応の教えから言えば往相は現生である。還相は未来であるということになるが、併しまた還相も、現生に生きているうちに何もないわけではないので、自分がそういうことをするというわけでないが、現生に於いて念仏の徳、即ち信心の徳、そういう御利益が現れて来る」(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」86ページ) と。仏のお心と心通じると念仏が自然と出てくる。念仏が仏のお姿です。だから、信心の人の念仏を聞いて念仏を称える人が生まれるのは「念仏のお徳」であって念仏称えた人の手柄ではない。第六章にも「ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり」とお示しいただいている。「わたし」が悟り「わたし」が救うのが自力の信念かも知れないが、仏道に「わたし」はない。

 南無阿弥陀仏 
by zenkyu3 | 2019-05-22 05:17 | 歎異抄を読む | Comments(0)