人気ブログランキング |

賢善精進の相をほかにしめして

 「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人はおおせそうらいしに、当時は後世者ぶりしてよからんものばかり念仏もうすべきように、あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。

(歎異抄・第十三章 -74)

 仏教では「殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・邪見」を身口意の三業がつくる「十悪」という。こうならないようにしようではなく、これがわたしたちの現実の姿なのだということです。自らの利益や感情を満足させるために人を傷つけ殺すことは平気だし、他人の持っている財産を狡猾に、ときに乱暴に盗み取って自分の財産とする。性的な満足が得たくて夜昼なく異性を物色して回る野卑な姿は獣のようだ。人の一生は金儲けと性的な満足のためにあると言ってよい。口からは自分をよく見せるための両舌と、人を貶めるための悪口が汚水のようにとめどなく流れ出てくる。本人はなにも気付いていない。世間では身業と口業が「外」、貪欲・瞋恚・邪見の意業が「内」と分けるが、信心の智慧に照らされれば意業もまた隠しようのない「外」となる。「外なる身口意の十悪」を照らして懺悔させるのが「内なる仏心」の働きです。

 南無阿弥陀仏 
Commented by kk at 2019-05-22 10:13 x
職場での、自分の利益と保身の為の両舌は毎日のことです。本当に毎日のことです。今日もそうして帰ってきました。しかも、自分が悪者にならないよう、微妙な言い方をする念の入れようで、そんなことばかりに心を砕いています。浅ましいと思います。
Commented by zenkyu3 at 2019-05-22 11:21
> kkさん
「浅ましい」との自覚はどこから来るのでしょうか。人の中からは出てこない自覚だろうと思います。畜生と人を分ける価値とはなにか。人として生まれてきた価値はなにか。仏法に出会うことの意味を深く考えてほしい。善及
by zenkyu3 | 2019-05-21 05:49 | 歎異抄を読む | Comments(2)