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とても地獄は一定すみかぞかし

 たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

(歎異抄・第二章 -37)

 若い頃、自分より最低のものが一人でもいたら往生しないと教えられた。今も耳の底に響いている。「いずれの行もおよびがたき身なれば」とは、これは信心が開ける前のまっ暗闇のどん底を徘徊している親鸞の心境です。自分の心はわが子より可愛いい。わが子より可愛いい自分の心を捨てよと迫られている。自我の死を前に自分の心はまだなんとかなるという思いにすがる。自分の心を捨て切れない迷いの底をどこまでも這いずり回る。その心境を「とても地獄は一定すみかぞかし」という。もう一歩で闇の中で光を見る。

 南無阿弥陀仏     

by zenkyu3 | 2019-04-14 05:27 | 歎異抄を読む | Comments(0)