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念仏は行者のために非行非善なり

 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なり。

(歎異抄・第八章 -38)

 『観経疏』(定善義)に云わく、「帰去来、魔郷に停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽くみな径たり。いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢えて後、かの涅槃の城に入らん」と。「魔郷」とは自分の心のこと。「涅槃の城」とは仏のお心のこと。信の一念に自心から仏心へと立ち位置が変わる。それを「自力をはなれたる」という。「いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く」とは、自分の心が造る苦悩の数々をなめ尽くして来たのに、それでもまだ自分の心が捨て切れない。そんなわれらの姿を悲しんでくださるお心がある。仏のお心に立った念仏ゆえに「非行非善」という。

 南無阿弥陀仏   
by zenkyu3 | 2019-04-15 05:28 | 歎異抄を読む | Comments(0)