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悪をもおそるべからず

 しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに。

(歎異抄・第一章 -25)

 自分の心を「悪」という。使用人が主人を畏れるようにわれらは自分の心を畏れている。われらは自分の心に家畜のように縛られ、かつ使役されている。頭が上がらない。しかし「本願を信ぜんには」、自分の心ではない仏のお心を知ると、自分の心から離れて、自分の心から自由になる。自分の心の主人になる。すなわち、仏のお心をいただいた姿を「悪をもおそるべからず」というのです。

 南無阿弥陀仏 
Commented by 畑のかえる at 2019-04-03 03:29 x
「自分の心に家畜のように縛られ、かつ使役されている」・・・この意識を基準にしたい。この意識を自分の港として、いつもここに戻るようにしたいのですが、深い霧が出て帰られなくなっているのです。
Commented by zenkyu3 at 2019-04-03 12:53
> 畑のかえるさん
世間の人はみな、自分の心に縛られ、かつ使役されていることに気づいていない。それあるか、人を憎んだり傷つけたり、殺したり。あるいは、自ら悩み、苦しみ、ときに自死してしまう。悲惨は世に満ちている。善及
by zenkyu3 | 2019-04-02 05:01 | 歎異抄を読む | Comments(2)