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自分の禀受

絶対他力の大道 5

 五 無限他力、何れの処にかある。自分の禀受において之を見る。自分の禀受は無限他力の表顕なり。之を尊び之を重んじ、以て如来の大恩を感謝せよ。然るに自分の内に足るを求めずして、外物を追い、他人に従い、もって己を充たさんとす。顛倒にあらずや。外物を追ふは貪慾の源なり。他人に従ふは瞋恚の源なり。

(清沢満之『絶対他力の大道』5/7)

 量深師の教えを仰ぐ。「宿業は、ただ宿業と成り立たぬものであって、宿業は、如来の本願に乗託し如来の本願に救われておる所に、救わるべからざる自己を発見する。救わるべからざる宿業の自己を見出だしたことは、救いを得ている証拠である」(津曲淳三著「親鸞の大地―曽我量深随聞日録」239ページ)と。与えられた境遇を「宿業」と受け入れるところに本当の心の自由がある。自分に求め、人生に求める心にすれば、自分と人生を諦めることは死ぬに等しい。だから、一度は心に死んで、すでになに不足なく与えられていたことに気づけば、そこに新しい人生が開けてくる。

 南無阿弥陀仏  

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by zenkyu3 | 2019-02-23 05:18 | 清沢満之を読む | Comments(0)