禅宗くさい

(樹心会々員のお便り・最終回)

 ある時、竹内先生から「あなたは禅宗くさい」といきなり面罵されたことがありました。その場ではなんのことか意味がわからず、後から四月の〈お便り〉原稿が気に食わないのだとわかったので、〈お便り〉をやめる旨の手紙を送りました。わたしも腹が立っていた。その後にいただいた返信のお手紙が「竹内先生の手紙 三」です。

 → 先日「禅宗くさい」と申し上げたのは決して私は貴兄を真宗に縛ろうとするものではありません。信心は一人一人の問題です。私自身も極めて自由な場に立っていたい。一筋に真実を求めているつもりです。一人一人が真実に照らされ、どん底から目覚めた時、共生の世界が開かれていると思います。長い間ご苦労を頂き厚くお礼申し上げます。また書きたくなった時があったら、是非書いてください。(1995-4-27)

 〈お便り〉はわたしが竹内先生から学んだことを書いているのではなく、わたしの信体験をいかに言葉にするかという試みでした。真宗教義をはみ出さないように注意していても、ついに脱線してしまった。そういう出来事があって、三年半続いた〈お便り〉はあっさり終わった。なお、先生を怒らせてしまった原稿(一部)は以下の通りです。

 → 今あるこのまま、あるがまま、心の家郷に帰る旅路のご方便は、自力の心を離れよとの実に親切な手だてです。深く信じられれば、分別が落ちて安楽に到るのです。一切の分別が落ちた状態、今あるこのまま、あるがまま、目前の今に一切の分別の手を加えないこと、これを南無阿弥陀というのだと、私は理解しています。(1995-4-1)

 これは「禅宗くさい」どころか真宗ですらない。先生が怒るのは当然です。わたしにとっては今も辛い思い出です。その後、1997年4月に先生が急逝され、わたしは聞法の場所を失った。その後は、もっぱら曽我量深師の著書から真宗教義を学びました。2004年4月には〈濁川の仏教&人生論ノート〉というサイトを立ち上げ、ネット上で記事を書き始め、現在に至っています。〈樹心会々員からのお便り〉の続きを書いているのです。もう「禅宗くさい」とは叱られないでしょう、多分。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2017-03-25 18:53 | 樹心会々員からのお便り | Comments(0)